2009年12月7日月曜日

東京

帰国してからブライトンに関するネタが思いつかず、しばらく間が開いてしまいましたが、来月またブライトンに戻ることになりました。9月まで在籍していたサセックス大学開発学研究所(IDS)で、博士課程に進みます。帰国後すっかり日本の生活に慣れてしまったので、再びイギリスで、しかもほぼ英語だけの生活を送るという実感がわきません。

イギリスは天気が悪いらしく、IDSの先生のメールが「寒くて凍りそうなIDSからこんにちは!(Greetings from a cold frosty IDS!)」で始まっていたり、友人からは「ブライトンには来ないほうがいい(Keep away from Brighton)」というメッセージが・・。たしかに東京はお天気がいいので、イギリスの短い日照時間や、海沿いの強い雨風を思うと、ちょっと憂鬱になります。

ブライトンには、Poundland99p Storeという、日本の100円均一のようなお店があって、私は折りたたみ傘をそこで買っていたのですが、風が強くてすぐに壊れてしまうので、まるで使い捨てカイロのようでした。日本で丈夫な傘を買っていこうかな。

ということで、ブライトン・ジャーナルは来年も続けたいと思います。写真は地元の(ブライトンじゃないですよ)名物です。

2009年10月31日土曜日

日本語

ブライトンについて書こうと思いつつ、日本について。水村美苗さんの『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で』という本を読みました。

著者は、英語でものを書く人たちと、英語以外の言語でものを書く人たちの間には非対称な関係があり、また、西洋と日本には並行しつつも2つの異なる時間が流れていると述べています。私はこれに、理屈ではなく感覚的に、共感を覚えました。


そして、学問とは本来、「読まれるべき言葉」の連鎖であって、世界の普遍語である英語でなされる必然性があると唱えています。このあたりを読んでいると、「なぜあなたは日本語で書くのですか」と問いかけられているような気持ちになります。ただし、著者は日本人もこれからは英語で読み書きすべきと主張しているのではありません。日本語の特殊性や美しさについてもたくさん書かれていますし、著者自身の日本語への強い愛着が感じられます。

因みに私は、自分の中でいくつかの日本語の単語が亡びつつあったことに気づく日々です。些細な話ですが、例えば「次善」という言葉。英語では「セカンド・ベスト」と言いますが、日本語にはぴったりの言葉がないなぁなんて思っていました。とんでもないです。ちゃんと英語と日本語、両方の言葉をセットにして覚えなければと思います。


写真はブライトンの海沿いです。よく散歩していました。

2009年10月23日金曜日

イエス・ミニスター

クラスメイトの間で流行ったものの1つが、80年代に英国放送協会(BBC)が放送した「イエス・ミニスター(かしこまりました、大臣)」とその続編の「イエス・プライムミニスター(かしこまりました、首相)」という政治コメディドラマでした。みんなでお昼に集まって見たりするうちに私もすっかりはまり、DVDを買いました。

「イエス・ミニスター」シリーズでは、内務省大臣のジム・ハッカー、事務次官のハンフリー・アップルビー、秘書官のバーナード・ウーリーが主な登場人物で、大臣VS次官、別の言い方をすると、政治家VS官僚のバトルが繰り広げられます。ハッカー大臣が新しい政策や省内改革を打ち出そうとすると、ハンフリー次官が関係者への根回しと流暢な言い回しで現状維持にもっていこうとし、秘書官のバーナードは2人の板ばさみになる・・というパターンが多いのですが、ブラックユーモアたっぷりで、リアルに作られています。

このシリーズの最終話で、時の運とハンフリーの手腕によって、誰も予想していなかったハッカー大臣が首相に就任し、続編の「イエス・プライムミニスター」シリーズで、同じ3人のやりとりが続きます。

政治家VS官僚というと、今の日本の政治にも関係するなぁと思っていたら、毎日新聞に関連記事が載っていました。インドにはインド版「イエス・ミニスター」があるそうですが、日本でもこういう番組を作ったら、一般の人々にとって政治家や公務員が身近に感じられるようになって良いのではないかと思います。ただ、日本ではここまでブラックユーモアの強い政治コメディは受け入れられないかな・・という気もしますが。

2009年10月6日火曜日

ケニアとタンザニア

修士論文を書いていた8月頃の写真を見つけました。修士論文ではケニアとタンザニアの比較研究をしたのですが、最初に、論文に使えそうな箇所に付箋を貼りながら、ケニアに関する本とタンザニアに関する本を分けました。写真の手前がケニア、奥がタンザニアに関する本の山です。「タンザニアの勝ち。やっぱり私はタンザニアが好きなんだわ・・」などと思いながら、この写真を撮った記憶があります。

2009年9月28日月曜日

キヌアとケフィア

先週水曜に帰国しました。東京はブライトンより暖かくて気持ちが良いです。そして、少しずつ「日本」が自分に浸透してくる感覚がします。心地よくもあり、ちょっと抵抗感もあり。。毎度のことながら。

さて、ブライトンで食べていた食材を2つご紹介。ひとつめは南米の穀物、キヌア(Quinua)(左の写真)。イギリスに行く前から名前は聞いたことがあったのですが、自然食品店Infinityで見つけて買ってみました。見た目は鳥のエサのようなのですが、茹でるとリゾットのようになります。味はほとんどなく、プチプチとした食感が面白いです。キヌアと野菜の煮込みは、ラタトゥイユと並んで、冷蔵庫の野菜室お掃除メニューでした。

ふたつめはケフィア(Kefir)。クラスメイトのNからケフィア粒を分けてもらって育てていました。ケフィアは、日本で以前コマーシャルがあったので知られているかもしれませんが、コーカサス地方のヨーグルトです。「ヨーグルトきのこ」と言われることもあるようです。日本では乾燥した粉末状ケフィアが売られていますが、私がもらったのは生のケフィア粒。見た目はきのこというより、白いそぼろです。瓶に牛乳とケフィアを入れて、常温で1~2日置いておくと牛乳が発酵してヨーグルト状になります。ヨーグルト部分はざるで濾して、ざるに残ったケフィア粒は瓶に戻し、新しい牛乳を足すと、またヨーグルトが作られます。 私は豆乳でも作っていました。

新しい食材を使うのは実験のようで楽しいですが、時々失敗することもあります。以前、エスニック食料品店Tajで売られていたニガウリを使って、ゴーヤチャンプルを作ったら、苦すぎて食べれませんでした。違う種類だったようです。作っている最中、フラットメイトのSから「それは苦いと思うよ」と警告されていたにもかかわず、チャンレンジャーなので、やってみないと気がすまないのでした。

2009年9月9日水曜日

手洗い

予定を変更して、2週間後に帰国することにしました。ということで、ブログに載せていなかった写真を少しずつ載せていきます。

右の写真は、新型インフルエンザが流行りだしてからIDSの洗面に貼られた手洗い励行のポスター。一番下に書かれている「The power is in your hands(力はあなたの手に宿っている)」という標語が目にとまり、思わず写真を撮ってしまいました。

「Your health is in your hands(あなたの健康はあなたの手にかかっている)」という標語は聞いたことがあるのですが、イギリスの国民保健サービス(NHS)はこのポスターを作る時に、どうしてpower(力)という言葉を選んだのでしょうか。power to control germsという意味なのかもしれませんが、この標語だけ見ると、何だか手から不思議なパワーがわいてきそうな感じがするのですが・・。

2009年9月5日土曜日

修士論文

9月1日に修士論文を提出して、修士プログラムの全課程が終わりました。提出してすぐには実感がなく、またしばらく休んだら授業が始まるような感覚だったのですが、クラスメイトやフラットメイトが、次々に自国に帰っていっていくので、終わったという気持ちになってきました。

先月はずっと修士論文にかかりっきりでしたが、やっぱりなかなか進まず苦労しました。8月中旬、論文を書きつつも、最終的に何が言いたいのかがはっきりしないままだったので、ある日、「こんなの何を作るかわからずに料理しているのと同じだ。何を作るか決めていないなら、そもそも料理するな!」と自分で自分に怒って、「結論が出るまで帰らない!」と決めて寮を飛び出し、近くのカフェでひたすら考えたりしました。

その後、なんとか突破口を見つけて書き進めました。最後の方はフラットメイトのA(バルセロナを案内してもらった)や英語の添削をお願いしたMが励ましてくれたので、とても助かりました。論文を書くときはできるだけオープンに、いろいろな人の意見を聞きながら進めるのが大事だと改めて思いました。

論文を書いているときは、とにかく考える時間がたくさんあるので、他にもいろいろなことを考えました。この1年を通じて、自分は何を研究したいのか?社会科学に何の意味があるのか?政治学とガバナンスの違いは何か?などを考えていたので、自分なりの哲学というか、いろいろな気づきがあって良かったです。忘れないうちに書き留めておこう・・。

写真はバルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂の階段です。

2009年8月8日土曜日

バルセロナ②

古いものと新しいものが一緒に存在している街、というのが私のバルセロナの印象でした。どこの街にも古いものと新しいがありますが、住んでいる人に案内してもらったせいか、特に時代や時間の流れを感じることが多かったです。

街の中心の旧市街の中にあるゴシック地区は、13~14世紀のゴシック様式の建物が並んでいて、入り組んだ石畳の小道を歩くと、歴史が感じられます。ゴシック地区の外に出ると、碁盤の目のように整備された大通りが広がっています。

1992年のバルセロナ・オリンピック開催時に開発されたオリンピック村(Vila Olimpica)とその周辺には今はレストランやカフェ、ホテル、アパートなどが建っていますが、オリンピック以前はレンガの工場が並ぶ地域でした。ただ、オリンピックからもう10年以上経っているので、今見ると当時の華やぎとともに時間の流れも感じられます。

バルセロナはショッピング街が多く、新しいショッピング・モールも何箇所かあって、地元の人と旅行客でにぎわっていました。またバルセロナには以前は日本人の団体観光客がたくさん来ていて、有名ブランド店も日本人だらけだったようですが、今は日本人観光客の割合は減っているようです。私が見た範囲では、団体ではなくて夫婦や友達同士など個人で来ている人の方が多いように思いました。ここでもちょっと時間の流れを感じました。

バルセロナの東の端には、2004年に国際会議場が建てられたフォーラムと呼ばれる地域があって、青い壁の大きな会議場と、屋外コンサートなどが開けそうな広いスペース、さらにその奥に船着場とビーチがあったのですが、人がほとんどいなくて、ひっそりとした雰囲気でした。開発しようとして資金不足となり、途中で計画が止まってしまった・・みたいなところでした。

様々な時代の影響を受けて発展した地区から成るバルセロナで、昔と今の時間の流れをつなぐ象徴的な建物が、100年以上も建設中のサグラダ・ファミリア聖堂(Temple de la Sagrada Familia)なのかなぁという気がしました。

2009年8月4日火曜日

バルセロナ①

7月28日~8月1日、バルセロナに行ってきました。フラットメイトのAがバルセロナ出身なので、彼女の家にお邪魔してきました。フラットメイトのS(インド人)も一緒に行く予定でしたが、Sはタイミングが合わずビザが取れなかったので、ビザの不要な私だけが行くことに。出身国によってビザが必要だったり要らなかったりするのは仕方ないことですが、友達のこととなると何だか不公平に感じてしまいます。

スペインに行くのは初めてでしたが、バルセロナではAにいろいろなところに連れて行ってもらいました。住んでいる人に案内してもらうのはいいですね。観光地に加えて、バルセロナに住む人々の生活の様子や、Aが生まれた頃に住んでいた家や通学路なども見れました。

ということで、論文の書き方が止まってしまっていますが、バルセロナ旅行について何回か書きます。

上の写真は、バルセロナのビーチです。Aの実家から歩いて5分くらい。ブライトンの夏は涼しくて海で泳げそうにないのですが、バルセロナは真夏の気候で蒸し暑かったので、泳ぎに行ってきました。タンザニアの頃と同じように、砂浜でしっかりお昼寝もしてきました。

2009年7月20日月曜日

ボディショップ

論文の書き方がなかなかまとまらないので、ちょっと寄り道を。

スキンケア、ボディケア製品などでよく知られている「ザ・ボディショップ」は、ブライトンから始まったとつい先ほど知りました。1976年、アニータ・ロディックさんという女性が、天然原料を使った手作り化粧品を販売するお店をブライトンに開いたのが始まりだそうです。日本上陸は1990年。確か、私が中学生か高校生の頃にボディショップの製品が流行った覚えがあります。

ブライトンにも支店があって、時々行きますが、他の支店と全く変わらない店内とスタッフで、発祥の地らしさは全くありません。でも最初のお店はおそらく別の場所にあっただろうし、ブライトンはアート性に富んだ物や、自然に優しい物を扱う小さいお店が多いので、新しいブランドがブライトンから始まるというのもわかる気がします。

因みに、ブライトンの支店には日本人のスタッフの方がいらっしゃいます。今後行ったら、ブライトンが発祥の地って知っているか聞いてみようかな。

2009年7月15日水曜日

論文の書き方①

先日予告したとおり、論文の書き方の手順をまとめてみたら、どこかの教科書に載っているような内容になりました。。が、何回かに分けて書き出してみます。

1.論文は「氷山の一角」
論文に書かれていることは著者が経たプロセスのほんの一部に過ぎず、その裏には膨大な量の文献、分析、思考錯誤が行われている。あらかじめ相当な知識がある場合(この道何十年という専門家など)や、絞られた特定の枠組みの中で書く場合を除いて、論文執筆には近道はない。イースト・アングリア大学のJ先生の言葉を借りると、論文を書くことは、迷路の中で出口に通じる糸をつかんでいると信じながら進んでいくこと。

2.理論と事象
学術論文には、①理論(theory)と、②事象(empirical issue)(あるいは事例(case)と呼ばれるもの)が入っている。論文を書く場合、理論から入るか、特定の事象から入るかという違いがある。授業で課される論文の場合、理論や質問(research question)がいくつか決められていて、その中から選んで、あてはまる事例を探すことも多い。ただし、修士論文のように、理論・事象ともに全くの自由という場合もある。この場合、分析したい社会問題(=事象)から始める場合の方が多い(クラスメイトの修士論文の中間発表を聞く限り)。

3.理論枠組み
事象から始める場合、それを分析するための理論枠組み(theoretical framework)を見つける必要がある。最初に事象のどういう側面(angle)に着目するかを決めて、文献を読んだり、先生のアドバイスをもらったりしながら、理論枠組みを絞っていく。

2009年7月6日月曜日

オバマ大統領の本

数ヶ月前になりますが、オバマ大統領の自伝「私の父の夢(Dreams from My Father)」を読みました。

この本は1995年、オバマ大統領が政治家になる前に書かれたものです。オバマ大統領の生い立ちについては、父親がケニア人で母親がアメリカ人(白人)、ハワイで生まれたこと、幼少の頃インドネシアに住んでいたことなどは知っていましたが、詳しいことはこの本を読んで初めて知りました。

本は3部構成になっていて、第1部はハワイとインドネシアで過ごした幼少の頃、第2部はシカゴの貧困地域で活動していた頃、第3部はケニアへの旅となっています。

偶然とは言え、ドラマのような人生を送っている方なのですね。この本を読んで、オバマ大統領にとって、アメリカという国が内包している人種、貧富の差、文化・宗教の違いなどは、自分と家族の問題であって、幼い頃からずっとそれらに接してきていることがわかります。

第2部のシカゴ編には、白人とアフリカ系アメリカ人の貧富の差が大きいシカゴで、若いオバマ氏が貧しい人たちの生活環境の改善にどうやって取り組んだかが、失敗や葛藤も含めて率直に書かれています。コミュニティ開発、貧しい人たちのエンパワメントなどが出てくるので、開発学の授業で取り上げてもいいような内容です。

第3部のケニア編には、オバマ氏が自分の父親とその家族が生きてきた環境を理解しようとする過程が書かれていますが、ケニアの空気がよく伝わってきて、アフリカに行ったことのある人は共感できる部分が多いと思います。

ということで、すごい生い立ちの人が大統領になったなと改めて思いました。途上国(特にアフリカ)に関するお仕事・勉強されている方にはおすすめしたい一冊です。

2009年7月5日日曜日

自転車

ダル・ジャーナルに、「ブライトンでは、ダルのように、自転車を頭に乗せて運ぶ人などに遭遇することはあまり無いだろう」と書きましたが、さすがブライトン。自転車を頭に乗せている人はいなくても、裸で自転車に乗る人たちがいました。

先月のある日曜日、部屋でパソコンに向かっていたら、外が騒がしくなりました。窓の外を見たら、すぐ下の通りで裸の人たちの自転車パレードが行われていました。老若男女、体をペイントしている人、ローラースケートの人、普通に走っている人も。でも、みんなちゃんと靴は履いていました。裸足では危ないですけどね。

あとでわかったのですが、「World Naked Bike Ride」という世界各地で行われている環境保護のキャンペーンなのだそうです。車を使うのをやめよう、原油への依存を減らそうというメッセージをこめて、裸で自転車なのでした。

2009年7月3日金曜日

読みやすさ

英語の論文を書くのは難しいです。私はアメリカのジョージ・ワシントン大学も入れると3年くらい英語の論文を読んだり書いたりしていますが、論文書きにはまだ慣れません。

ジョージ・ワシントン大学には、論文を無料で添削してくれるライティング・センターがありました。事前に予約をして論文を持って行くと、アメリカ人の学生が見てその場で直してくれるのです。サセックス大学にはそういうセンターはないので、英語のチェックはしてもらっていなかったのですが、先日、外部の方に有料で添削してもらいました。特に読みやすさ(readability)を改善してほしいとお願いしました。今日、添削されて返ってきたのですが、なるほど確かに読みやすくなっています。私の文は長くなりがちなので、余計な情報は削って、短くした方がいいようです(これは、たぶん日本語もそうですよね・・)。それに、もっと読む人のことを考えて文を書かないといけないんだなと思いました。

先月末に2本の論文を提出したあと、私なりの論文の書き方の手順をまとめ中です。というのは、1つ目の論文を書く際に、効率の悪いやり方をしてしまったので、その反省から。まとまったらブログにも書きます。論文の書き方は人それぞれですし、これを読まれる方にはほとんど関係ないと思いますが、自分の備忘録のために・・。

写真はブライトン・ピアの上にかかる虹です。

2009年7月2日木曜日

ケンブリッジ大学

6月の第二週、ケンブリッジ大学(University of Cambridge)で開かれたタンザニアについての会議に参加してきました。ケンブリッジはロンドンから1時間北上したところにあります。サセックス大学のようにキャンパスがあるわけではなく、大学と街が一体化しています。今年創立800年だそうで、歴史の重みの感じられる素敵な大学でした。会議は大学内のアフリカ研究センターで開かれました。私は勝手に古い建物、古い会議室・・をイメージしていたのですが、同センターは内装が新しく、会議室もきれいでちょっと意外でした。

会議のテーマは「タンザニアのアイデンティティ:過去と現在(Tanzanian Identities Past and Present)」で、スワヒリ語の写本の歴史、ザンジバルの昔の貨幣、ニェレレ大統領の現在のイメージ、教会、ダラダラ(バス)で働く人たち・・などタンザニアに関する様々なトピックが取り上げられて、勉強になりました。

普段は周りにタンザニアを研究している人がいないので気づきにくいですが、この会議に出て、私はタンザニアのことはほとんど何も知らないんだなと思いました。それに当然といえば当然ですが、タンザニア専門の方々はみんなスワヒリ語ができるんですね。スワヒリ語の勉強を再開しなくては。誰か教えてくれないかな。。

2009年6月27日土曜日

イースト・アングリア大学

6月の第一週、イギリスの開発学会(Development Studies Association)による大学院生向けのリサーチ・メソッド(研究手法)のワークショップに参加しました。場所はイースト・アングリア大学(University of East Anglia)で、2日間の集中コースでした。

イースト・アングリア大学は、ロンドンから北に電車で2時間弱行ったノーリッジ(Norwich)という街にあります。私はロンドンより北に行くのはこれが初めてでしたが、ノーリッジは歴史の感じられる趣のある街でした。

参加者は、イースト・アングリア大学の学生が大半を占めていましたが、他にロンドンやバーミンガムからも博士・修士課程の学生が来ていました。意外にもサセックス大学からは私だけでした。確かにブライトンからノーリッジまで片道4時間近くかかるので、ちょっと遠かったですが・・。でも、大学内に一泊したので、ご飯を食べながら先生や他の参加者からいろいろお話が聞けて、とても有意義でした。

ワークショップでは、開発学のリサーチ・メソッドについて包括的に教えてもらいました。私が最近気になっている認識論(エピステモロジー、epistemology)や現地調査を行う上での倫理についても学べてよかったです。認識論は、研究者が世界をどうやって理解しているのかを問うもので、いわば研究者の立ち位置や心構えを示すものです。途上国の社会や人々を研究対象とする開発学では、「どうあるべきか」「どうすべきか」という規範的な側面を排除することができないので、認識論の考え方は特に大事だと思います。引き続き勉強したいと思います。

2日目、ワークショップでお会いしたYさんにノーリッジの街を案内していただきました。写真は、その時に撮ったノーリッジ大聖堂のステンドグラスです。

2009年6月26日金曜日

胃腸炎

前回ブログを更新してから、1ヶ月以上も間が空いてしまいました。 5月の終わりに体調を崩した後、たまたまいくつも予定が入り、リサーチ・アシスタントの仕事もしつつ、論文を2つ書くという状況で、珍しくかけ足の日々を送っていました。今日、論文を提出したので、ここで一段落です。

5月の終わりに体調を崩したのは、ウイルス性胃腸炎にかかったためでした。暖かくなったので、もう風邪はひかないだろうと思っていたら、ウイルスにやられるとは・・。

2日半何も食べられず、そのうち体が水も受けつけなくなり、食あたりか風邪か何だかわからないし、寝ているだけで治るのかわからず不安になったので、お医者さんに診てもらいました。

イギリスの一般開業医(general practitioner)に診てもらうのは初めてでしたが、先生は聴診器をあてることもなく、症状を聞いただけで、ウイルス性胃腸炎だろうと診断。gastroenteritis(胃腸炎)という英単語を覚えました。

お医者さんに原因と対処法を教えてもらって安心したせいか、その日の夜から回復しました。3日間何も食べなかった後、スープを飲んだ時、休憩していた胃が「もう仕事っすか」と言いながら、重い腰を上げているような感じがしました。胃腸のありがたさを感じた次第です。

それに人間は強いなぁと思ったのですが、数日食べなくても、体は弱らないのですね。むしろ睡眠をしっかりとって、頭も体もすっきりした感じでした。言ってみればプチ断食のようなものです。今の時代は過食傾向にあるので、たまに食べない日を作って胃腸を休ませるプチ断食は体にいいんだろうなと思います。ただウイルスに支配されるのはこりごりですが。

2009年5月11日月曜日

餃子パーティー

クラスメイトのP(スペイン人)が餃子が好きだということで、昨日、うちで餃子を作りました。Pと、彼女と一緒に住んでいるI(スペイン人)と、うちのフラットメイトのA(スペイン人)とS(クロアチア人)、隣のフラットのB(カナダ人)も来ました。最初に餃子の作り方を見せて、その後スペイン人の3人に作ってもらったら、あっという間に40個くらいできあがりました。

餃子を食べるのは私も久しぶりでしたが、焼きたてはやっぱり美味しいですね。他に、ひじきと大豆の甘辛煮、そうめんサラダ、揚げ豆腐、それからデザートとして杏仁豆腐を作りましたが、みんな美味しいと言っていたのでよかったです。私はひじきは黒いし海藻だし、もしかしたら抵抗あるかなと心配だったのですが、好評でした。

料理と言えば、うちのフラットでは、順番に自分の国の料理をフラットメイトに作るということをしてきていて、これまでに、クロアチア料理、コソボ料理(・・というかたぶんあれはイタリアンだったと思う)、インド料理、メキシコ料理(スペイン人のAが作った)をいただきました。どれも美味しかったし、フラットメイトが全員集まって、わいわいしゃべりながらご飯を食べるのは楽しいです。最後に残ったのは私の番。今のところ、手巻き寿司にしようかなぁと思っています。お寿司はレストランで食べられるけど、手巻き寿司はなかなかできないと思うので。そして、納豆も出してみようかと思っています・・。みんなの反応が楽しみ。

写真はパリの凱旋門です。

2009年5月7日木曜日

夏学期の授業

パリに行ってから1ヶ月が経とうとしています。写真はいわずと知れたエッフェル塔。Tさんにエッフェル塔の周りをご案内いただいたのですが、お天気がよくてとても気持ちよかったです。

さて、4月20日に始まった今学期の授業をご紹介します。秋学期春学期は10週間でしたが、今学期は授業が6週間だけで、その後、6月末に3千語の論文を2つ提出して終わりです。 また、秋・春学期の授業は、2時間の講義と1時間半のゼミから成っていましたが、今学期の授業は2時間の講義のみで、ゼミはありません。私が履修しているのは以下の3科目です。

①『貧困層向けの政策改革の政治(Politics of Pro-poor Policy Reform)』
②『地方分権と地方政府(Decentralisation and Local Government)』
③『専門能力向上ワークショップ(Professional Skills Workshop)』

今学期はIDSの他の修士プログラムも含めた幅広い科目のなかから、どれでも2科目とることができます。私は結局、2科目(①と②)ともガバナンス・チームの先生の授業をとりました。

①の先生は、80年代にタンザニアのダルエスサラーム大学で教えていらっしゃったこともあるアフリカの専門家です。途上国の貧困層に配慮した政策に焦点がしぼられるのかと思っていたのですが、公共政策全般にあてはまる内容なので、個人的にはより興味をもって講義を聴いています。また、学生はそれぞれひとつ事例を担当していて、毎週のリーディングで出てきた理論が、その事例にあてはまるかを考えてくることが課題になっています。例えば私は参加型の計画立案がうまくいったモザンビークの事例を担当しています。

②は、ガバナンス修士プログラムのチューターをされている先生の授業。この科目には、ブライトンの隣のルイス(Lewes)市の市役所から町役場への分権状況について調査するという内容が含まれています。私のグループも来週、ニューヘヴン(Newhaven)町役場にインタビューに行く予定です。イギリスの地方行政について学べて面白いです。

③のワークショップは、秋・春学期に続き、修士の学生全員を対象としている科目です。今週、今学期が終わったあとに書くことになる修士論文に関するリサーチ・メソッド(調査手法)の授業があり、リサーチの基礎を学びました。

2009年5月3日日曜日

パリ④

パリでは、3日目にオルセー美術館(Musée d'Orsay)、4日目にオランジェリー美術館(Musée de l'Orangerie)に行きました。

私は19世紀後期の印象派、特にクロード・モネの絵が好きなのですが、オランジェリー美術館にはモネの睡蓮の絵が四方をぐるりと囲む部屋がありました。

オルセー美術館(右上の写真)は、1900年のパリ万博のときに建てられた駅舎を利用してつくられた美術館で、内装や美術品の展示の仕方のセンスが良くて、個人的にはルーヴル美術館より気に入りました。

それにオルセー美術館にはモネの絵の部屋があって、そこで「死の床のカミーユ」(左の写真)を見つけて、思わず涙が出そうになりました。

「死の床のカミーユ」の話は10年以上前にさかのぼります・・。高校3年生のときに小論文の授業で読んだある文章に、「画家は、大きな絵を描くときでも、腕(+筆)の長さが決まっているから、キャンバスの近くから絵を描くが、絵全体がどんなふうに見えるか確認するために、時々絵を遠くから見る。絵を鑑賞する時には、画家と同じように絵を近くから見たり、遠くから見たりするのが良い」と書いてありました。絵のみならず、物事は近くから見るのと遠くから見るのとでは違って見えてくるという主旨です。

私はそれを読んだあと、たまたま上野で開かれたオルセー美術館展に行ったので、試しに絵を遠くからと近くから見てみました。すると、モネの絵は、近くでみると勢いだけでいい加減に線を描いたようなのに、遠く離れると、風景や人物の輪郭、光の明暗がくっきりと見えました。遠くに離れれば離れるほど、くっきりとしてきて、きめ細かく描かれた写実的な絵よりも、鮮明でした。

近くで見ると雑なのに、遠くから見たらくっきりと絵が浮かび上がる、この差が面白くて、絵に近づいたり離れたり、ジグザグに歩きながら、絵を見ていきました。ところが、唯一モネが描いた「死の床のカミーユ」だけは遠くから見ても近くから見ても、灰色でぼんやりとしていて、輪郭や色がはっきりと見えませんでした。

「死の床のカミーユ」は、モネが息をひきとっていく妻カミーユを描いたものです。私はそのとき、モネは愛する人を失っていく時に感じた悲しみや喪失感などの感情を、絵で表現するより他なかったのではないかなと思いました。私は単純なので悲しければ泣きますが、悲しみを怒りで表す人もいます。モネの場合は、絵を描くということだったのではないか。感情のままに描いたから、遠くから見たらどんなふうに見えるかという計算をしていないから、遠くから見てもぼんやりしているのではないか。「死の床のカミーユ」からは、モネが絵を描かなければいてもたってもいられなかった、その時の悲しみが伝わってくるような気がしたのです。

先月、パリのオルセー美術館で、10年以上ぶりに「死の床のカミーユ」を見たとき、この絵に再会できた喜び、再びモネの悲しみに触れたような感覚、それから初めて絵を見たときの自分の素直な感性、あれから過ぎた10年の月日・・などに思いを馳せて、胸がいっぱいになったのでした。

2009年4月29日水曜日

パリ③

夏学期が始まって、いろいろしているうちに、間が空いてしまいましたが、パリ旅行の続きです。パリでは昼間はゆっくり美術館巡り、夜はタンザニアでお世話になったTさんとWさんとご飯をご一緒させていただきました。

最初に行ったのが、小説「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでから一度行きたいと思っていたルーヴル美術館(Musée du Louvre)。暖かい季節になったせいか、パリ全体に観光客が多かったのですが、ルーヴルは特に人が多かったです。

美術館は、3つの建物に分かれていて、館内の地図を持っていたのに、迷って何度も同じところに出たりしました。見た主なものとしては、世界史の教科書に出てきたンムラビ法典モナ・リザサモトラケのニケミロのヴィーナスなどです。迷って何度も見たのは、サモトラケのニケ(右の写真)で、階段の途中にあるのですが、向かって左下から見上げると、驚くほどセクシーなのでした。ルーヴルに行く機会のある方は是非見てみてください。

モナ・リザは思っていたよりも小さくて、ガラス張りで、周りは観光客でいっぱいでした(左の写真)。みんな絵を鑑賞するというより、記念撮影するのが目的という感じで、常にたくさんのカメラが向けられているので、私は近くまで行くのを断念しました。モナ・リザの側から観光客を見たら面白そうだなと思いましたが。「あー今日もみんな、熱心に写真撮ってるわ」みたいな。

2009年4月13日月曜日

パリ②

パリでは、南西部の15区にあるアパルトマン(アパート)に泊まりました。アパルトマンはどちらかというと長期滞在者向けのところが多いと思いますが、私が今回利用した会社は、短期アパルトマン専門で、2泊から宿泊可です。



私が泊まったアパルトマンは住宅街の中にあったので、落ち着いた雰囲気で、建物の前の桜が満開でした。部屋にキッチンがあったので、朝食と昼食を適当に作ったり、バスタブ付きだったので久しぶりにゆっくり湯船につかりました(寮のフラットにもバスタブはありますが、シャワーがついていないので使っていません)。

ホテルのようにフロントや朝食などのサービスは受けられませんが、チェックインの時にスタッフの方が部屋の使い方を丁寧に教えてくれましたし、一般の人たちが住んでいる普通のアパートなので、数日ながらパリに住んでいるような気分を味わうことができて良かったです。

2009年4月11日土曜日

パリ①

4月5~9日、パリに行ってきました。パリは学部生の頃に友達と1泊だけ行って以来です。渡米してからも細々とフランス語を勉強していたので、以前はフランスに行きたいとよく思っていましたが、結局10年近く行っていないのでした。 タンザニアでスワヒリ語をかじってから、フランス語は忘れる一方でしたし。

行きは日曜でしたが、ブライトン・ロンドン間の鉄道は、週末恒例の線路工事をしていて、電車の時間が変更されていました。事前に電車のチケットを買った際、変更後の時刻表をもらっていたので、それにあわせて出かけたのですが、ブライトン駅に着いたら、さらに変更になっていて、途中のスリー・ブリッジ(Three Bridges)駅まで、臨時バスに乗れ、と言われました。どのくらいかかるのか聞いたら、バス約45分、スリー・ブリッジからロンドンまでは電車で約15分くらいとの話。ところが実際にはバスも電車もいわゆる各駅停車で、計2時間半近くかかりました(通常は急行で約1時間)。因みにロンドン・パリ間はユーロスターで2時間半弱なので、だいたい同じくらい時間がかかったことになります。

ロンドンのユーロスター発着駅のセント・パンクラス(St. Pancras)に着き、セキュリティ・チェックや入国審査に思ったより時間がかからなかったので(フランスへの入国審査はロンドンでユーロスターに乗る前に行われます)、結果的に間に合いましたが、途中で何度もこれはユーロスターに乗り遅れるかも、と思いました。イギリスの鉄道がこんなで良いのでしょうか。それとも週末は移動するな、という文化なのかな?

セント・パンクラス駅からパリ北(Gare Du Nord)駅までは、隣の席が空いていたこともあって快適でした。パリに到着したら、当然、表示はフランス語ばかりですが、思ったよりフランス語の意味がわかってちょっとびっくり。すっかり忘れたと思ってました。それにフランス語の音がすてきでした。語尾が切れ切れのイギリス英語の後に聞くと特に。。

パリに着いたところまでしか書いていませんが、続きはまた次回。写真も次回載せます。

2009年3月31日火曜日

夏時間

28日に夏時間に変更になりました。時計を1時間進めたので、日本との時差は9時間から8時間になりました。

最近はまだ肌寒いですが、春らしいお天気の日が続いています。それに、時計を1時間進めたこともあり、遅い時間まで外が明るいのが不思議です。冬は4時には真っ暗だったのに、最近は日没が7時半で、真っ暗になるのは8時くらいです。

常夏の国で生活した後、暗い寒いイギリスの冬を経験したので、気候が人の心や身体に影響を与えているとつくづく感じます。冬のうつ病(seasonally affected disorder)などもありますし・・。夜でも電気をつければ明るいし、冷暖房で室温の調整もできますが、それでも確実に影響を受けます。やっぱり人は地球の子どもですね。

2009年3月29日日曜日

誕生日

金曜日、1つ年をとりました。私は自分の誕生日はこっそり迎えたい方なのですが、クラスメイトのTとHが彼女たちの家で、他のクラスメイトや日本人のお友達も呼んで誕生日会を開いてくれました。優しい!因みにTもHも私と同い年です。うちのクラスには同い年の人がたくさんいます。

Nが手作りのケーキに、ろうそくを立てて持ってきてくれて、一気に吹き消してね、と言われて吹いたら1本も火が消えず・・。哀しき肺活量。運動不足を改めて実感しました。でも、ご飯もケーキもワインも美味しかったし、みんなとの時間はとっても楽しかったです。

そういえば、部屋にあるタンザニアのカレンダーを眺めていて思ったのですが、私の名前は3月のMarchから来ているのでしょうか?さらに、スワヒリ語では3月はマチ(Machi)というのです。あれ、私じゃん、と思って・・。今頃気づいたの?と言われそうですが。これからは、私の名前はスワヒリ語の3月から来ていると言うようにしようかな。。

2009年3月23日月曜日

チーヴニングのレセプション

今月5日、イギリス外務省(Foreign and Commonwealth Office)主催で、英国政府チーヴニング奨学生向けのレセプションが開かれました。昨年10月にもブリティッシュ・カウンシル主催の歓迎パーティーがあり、今回は2回目のレセプションでした。

イギリスの外務省に入るのは初めてでしたが、歴史のある重々しい立派な建物で、自分が小さくなったような気がしました。参加していたのは主にロンドン近郊の学生だと思いますが、たくさんの人が来ていて、ナショナル・ドレスを着ている人もいて華やかでした。

今回は、ロンドンの大学に通っている日本人奨学生のお二人にも久しぶりにお会いすることができました。渡英してからなかなかお会いする機会がなかったのですが、お二人ともイギリスの学生生活を楽しんでいらっしゃるようで何よりでした。

また今回は、サセックス大学の奨学生には、大学から外務省までの往復バスが手配されました。片道2時間かかったので疲れましたが、同じ大学の他の奨学生たちといろいろ話ができてよかったです(まぁ私はバスに乗ると眠くなるので、結構寝てましたが・・)。みんな同じ年代で、政府機関に勤めている人が多いですが、大学やNGO関係の人もいます。またタンザニア出身の奨学生にも会い、先月末のタンザニアの会に引き続き、タンザニア話ができて楽しかったです。

チーヴニング奨学金は昨年25周年を迎え、現在130カ国以上の1000人を越える留学生を支援しています。

2009年3月22日日曜日

クロアチアの会

先月末のタンザニアの会に引き続き、先週末、クロアチアの会が開かれました!

同じ大学の日本人のお友達、AさんとMさんが夏にクロアチアに行くことを考えていて、それから(タンザニアの会を開いてくれた)MちゃんとNちゃんがこの春休み中にクロアチアを旅行するので、Aさんがクロアチア人みんな歓迎ということで、夕食会を企画してくれたものです。

また、映画『魔女の宅急便』で魔女のキキが滞在する街は、クロアチアのドブロブニク(Dubrovnik)がモデルになっているそうで、クロアチア人に映画を見てもらい、実際ドブロブニクに似ているか教えてもらおうということで、『魔女の宅急便』鑑賞会も行われました。ドブロブニクは「アドリア海の真珠」と言われる美しい街ですが、私は映画の舞台になっているとは知りませんでした。

さて、クロアチア行きを計画している4人と、Nさん(Nさんのフラットにもクロアチア人がいます)と私で、いろいろな日本食を作りました。和風パスタ、おでん、お好み焼き、麻婆豆腐、アスパラガスのベーコン巻き、梅酒、それからデザートの抹茶ケーキ。どれも美味しかったです!私はおかず担当だったので、酢豚を作りましたが、好評でした。因みに「スブタ」はクロアチア語で「土曜日」という意味なのだそうです。この夕食会に来たクロアチア人はみんな酢豚という日本語はしっかり覚えたようです。

私のフラットには2人クロアチア人がいて、他のフラットのクロアチア人もよくうちのフラットに来ているのですが、これまでよく見かけるけれど、あまり話をしたことがなかった人たちと、この夕食会を通じてより近くなった気がします。Aさん、企画してくれてどうも有り難う!また、MちゃんとNちゃんがクロアチア旅行から帰ってきてから、第2弾もあるようなので楽しみにしています!

因みに、『魔女の宅急便』を見たクロアチア人たちによると、映画に出てくる街はドブロブニクにはあまり似ていないようです。実際にその国の人が見ると違うということってよくありますよね。

2009年3月20日金曜日

春学期終了

今日、『公共管理と組織開発』の授業のタームペーパー(期末論文)を提出して、春学期が終わりました。今学期は先学期よりさらに早かったです!今回のペーパーはタンザニアの汚職対策機関(Prevention and Combating of Corruption Bureau: PCCB)について書きました。

さて、私は部屋でいつもお茶を飲んでいるのですが、最近いろいろな種類のお茶が集まってきました。普通の紅茶や緑茶、麦茶の他に、ハーブティーや、ルイボスティーなども。ルイボスティーは南アのお茶ですが、私はルイボスティーを飲むと、何故かいつもジンバブエに行った時に泊まっていた女子寮を思い出します。そこで出会った人たちのことも。

そして今一番気に入っているのが、近くのエスニック系の食料品店タージ(Taj)で見つけた「パッカ(Pukka)」のハーブティーです(私はプッカと読むのだと思ってましたが)。リバイタライズデトックスの2種類を買い、最初は癖があると思ったのですが、その後すっかり気に入って、一週間くらいこればかり飲んでいます。

そういえば、食料品店タージは、カスタードアップルも売っています!カスタードアップルは、ザンジバルで食べて感動したフルーツで、南国でしか食べられないのだと思っていました。いつも行っているスーパーにあるものは見慣れてきているので、時々こういう発見があると楽しいですね。最近、野菜や果物が大きくて新鮮で、洋ナシがとっても美味しい八百屋さんも見つけましたし。

明日から一ヶ月間春休みなので、ブライトンをさらに散策したいと思います。

2009年3月14日土曜日

タンザニアの会

前回書いてからちょっと時間が経ってしまいました。ブライトンも少しずつですが、日が長くなり、春らしくなってきています。キャンパスの芝生にはクロッカスの花が咲いていますし、先日IDSの裏庭の桜が開花しているのを発見しました。

数週間の出来事をさかのぼって書いていきたいと思います。2月最後の金曜日に、同じサセックス大学のMちゃんが、「タンザニアの会」を開いてくれました。Mちゃんのコースにタンザニア人の女の子がいて、フラットメイトにもタンザニア人がいるとのことで、みんなで集まろうという企画を立ててくれたのです。私はサセックス大学に留学しているタンザニア人に会うのは初めてでした。

日本食とタンザニア料理を作ろう、ということで、みんなでお好み焼き、ピラウ(牛肉入りのご飯)、カチュンバリ(サラダ)を作りました。またタンザニア人のFがチャパティ(パン)を作ってきてくれました。香辛料の効いたピラウとさっぱりしたカチュンバリの味は懐かしかったです。お好み焼きは、タンザニアの2人もとても気に入っていました。

それに、久しぶりにタンザニア話がたくさんできて、とっても楽しかったです。またタンザニアに行きたいなぁ。Mちゃん、どうもありがとう!次回は、是非ムシカキ(牛肉の串焼き)のBBQができたらいいねー。

2009年2月21日土曜日

官僚制に関する論文

今週は、中間試験と中間論文(ミッドターム・ペーパー)の提出締め切りがあって、しんどい週でした。試験は『民主主義と開発』のクラス、ペーパーは『公共管理と組織開発』のクラスの課題でした。

今回は、論文の執筆が遅れていたので、締め切り前の2日間、昼夜を無視した生活を送っていたのですが、こういうときは寝ていても、脳が勝手に論文の構成を考えていたりして、起きた時いやな感じがします。一度、論文が突然、筆記試験に変更になって慌てる、という夢を見ました。。なぜか日本の温泉宿にみんな集められて、試験が始まってしまい大慌て・・。起きた瞬間も慌てていて、急いでパソコンを開いて勉強しようとしたりして。そのときは、フラットメイトとご飯を食べて、一度落ち着いてから勉強に戻りましたが。

さて、その論文ですが、テーマはマックス・ウェーバーの「官僚制」の原則に沿っていない組織を選んで、その長所・短所を論ぜよというものでした。私は、日本の官僚の天下りを事例に、天下りがウェーバーの「官僚制」の官民分離の原則から外れているという点について書きました。

日本を事例に、英語で論文を書いたのはたぶん初めてだったと思います。日本人なら誰でも知っているような内容になりましたが、今回、自分の国について書くのはなんて自然なんだろうと思いました。日本語の文献を取り入れて、独自性を出すこともできますし。

それに、日本の政治に関する英語の論文や本を読むのは意外と面白いです!これまで、日本の政治は勉強の対象とは思っていませんでしたが、これからアフリカに加えて、日本についても見ていきたいと思います。

そういえば、天下りについて書かれた論文記事に、突然、サムライ精神みたいな言葉が出てきて、えっと思った箇所がありました。ちょっと見てみます・・、あ、ありました。

「サムライ的な倫理観や省庁への忠誠心が、元官僚が単なる資本主義の道具になるのを防ぐのだろう。('The samurai ethic and loyalty to the grands corps are likely to prevent ex-bureaucrats from becoming simple capitalist tools.')」

天下りによる官から民への人の動きによって、国家が市場に吸収されてしまう可能性はないのかという、いかにも学術的な問いに対する説明の一部なのですが、サムライ的な倫理観があるから、と書かれるとは・・。海外の研究者にとっては、日本はやっぱり、サムライ、ハラキリ・・の国なのかなぁ。

写真は今月初旬に雪が降った時に撮ったものです。

(出典:Schneider, B. (1993) 'The Career Connection: Comparative Analysis of Bureaucratic Preferences and Insulation', Comparative Politics 25.3: 331-350)

2009年2月8日日曜日

極度乾燥

寮から歩いて5分くらいのチャーチル・スクエア(Churchill Square)に、「Cult」という洋服のお店があります。きれいな淡い紫色のパーカが窓越しに見えたので、お店に入ったら、前から気になっていた「極度乾燥(しなさい)」のお店でした!

「極度乾燥(しなさい)」というのは、ときどきこちらの人が持っているスポーツバッグに書いてあって、変な日本語・・と思っていたのです。因みに、このお店に入ってわかったのですが、「Superdry極度乾燥(しなさい)」というブランドのようです。日本語を知らない人が辞書を引いて、適当な漢字をあてたみたいですよね。 あれ?しかもビール・・?

店内にはカジュアルな服が並んでいて、他にも「優れた配分」、「堅い天候の会社」、「オルスタ」など、おかしな日本語がプリントされていました。しかも、背中のタグに「Made in Tokyo」、「University of Tokyo」などと書かれていたりします。クール・ジャパンの影響はすごいですねぇ。

かわいいデザインと、いい加減な日本語の組み合わせが面白かったので、1枚Tシャツを買いました。右上の写真をクリックすると、写真が拡大するので、そちらをご覧ください。トラの絵柄の下に、「極度の自動車」と書かれています。。

2009年2月2日月曜日

昨夜からイギリス東南部では雪が降り、今日は大学がお休みになりました。

今日は『公共管理と組織開発』の授業があり、私はグループの発表もあったので、少し早めに寮を出ようとしたら、同じ寮の人に「バスも電車も動いてないよ」と教えてもらい、携帯電話を見たら、クラスメイトから「今日は休講」というメッセージが来ていました。とっさに、いぇい!と思ったのは、子どの頃、雪で学校が休みになるかな、と思ってわくわくした時の名残でしょうか。

ちょうどフラットメイトのAも寮を出るところだったので、今日は大学がお休みだと伝えて、2人で寮の前の海辺に写真を撮りに行ってきました。雪の積もるビーチは初めて見ましたが、いつもと違った雰囲気できれいでした。

いくつも雪だるまができていて、特に、左の写真の子どもがかじりついている雪だるまは大きく、小さな埠頭の先に立っていたので、写真を撮るために人の列ができて、ちょっとした観光スポットのようでした(私たちもこの雪だるまと並んで写真を撮ってきました)。

寮の職員によると、波や海風があり、海辺にこんなに雪が積もるのは珍しいようです。部屋からの真っ白な雪と海の眺めもいいものなので、しばらくこのままだったらいいな。

2009年2月1日日曜日

ミュージカル

少し前になりますが、フラットメイトのAとSと、ロイヤル・パビリオンの隣にあるシアター・ロイヤル(Theatre Royal)に、ミュージカル「キャバレー(Cabaret)」を見に行きました。シアター・ロイヤルは200年の歴史があるそうで、劇場は古くて味のある造りでした。

「キャバレー」は映画にもなっていて、日本では2007年にミュージカルが上演されたようですが、私は今回初めて見ました。ブロードウェイ・ミュージカルの「シカゴ(Chicago)」にもちょっと似ていますが、「キャバレー」は1931年のベルリンが舞台で、ナチス・ドイツが取り上げられているので、より深くて悲しい内容です。

ストーリーはシンプルで、アメリカ人小説家とイギリス人のキャバレー歌手のロマンスと、その2人が住む宿の女主人と果物屋さんのロマンスの2本柱です。果物屋のおじさんは果物をあげながら、女主人にアプローチしていくのですが、パイナップルで女主人にプロポーズするシーンがあって、確か果物屋さんが「あなたの部屋をパイナップルでいっぱいにしてあげる」と言い、女主人がそれに感動して、2人でひとつのパイナップルを持ちながら歌い始める・・といった感じだったと思いますが、微笑ましくて思わず笑ってしまいました。

ですが、果物屋さんはユダヤ人で、後半はナチスのユダヤ人迫害が出てくるので、悲しい展開になります。前半の派手でセクシーな音楽・ダンスと、後半の重い展開の対比が鮮やかでした。それから最初は気づかなかったのですが、舞台のセットや衣装などから、ベルリンの前衛的な雰囲気が出ていました。昔、列車で東ドイツを通ってベルリンまで旅したときに感じた独特の暗さなどを思い出したりして、上手な演出だなぁと思いました。こういう大人向けのミュージカルもいいものですね。

2009年1月28日水曜日

春学期の授業

風邪が治ったので、気を取り直して・・、今学期の授業について。今学期、私が履修しているのは以下の3科目です。

①『公共管理と組織開発(Public Management and Organisational Development)』
②『民主主義と開発(Democracy and Development)』
③『専門能力向上ワークショップ(Professional Skills Workshop)』

先学期は、ガバナンス・プログラムの学生は全員同じ授業を履修しましたが、今学期は4科目から2科目を選択しています。私は①と②を選びましたが、他の選択科目は『グローバル・ガバナンス(Global Governance)』と『社会のエンパワメント(Empowering Society)』です。それから、先学期同様、IDSの全修士プログラム共通のワークショップ(③)があります。

①の公共管理は、月曜に講義(Lecture)とゼミ(Seminar)がありますが、履修者数が30人以上の人気コースです。 主に行政府に焦点があてられていて、ウェーバーの官僚制から始まり、公務員制度、行政サービスにおける政府と国民の関係などが取り上げらています。

②の民主主義は、火曜に講義とゼミがあります。こちらは履修者は約15人です。2人の先生が担当していますが、1人は政治学、1人は社会学ご専門なので、お二人の視点の違いが見えてとても興味深いです。それから、先生方がエクアドルとブラジルご出身で、中南米の事例が多いので、個人的には新鮮で面白いです。

また、いずれもチューター(ゼミを担当する講師)もとても良いです。②の民主主義のチューターはベテランの講師の方で、先学期もガバナンス・プログラムのチューターを務められた方。①の公共管理のチューターは、IDSの博士課程の学生で、チューターを務めるのは初めてだと思うのですが、学生の意見を聞いて解釈したり、まとめたりするのが上手です。

③のワークショップは隔週水曜に行われ、先学期同様、単位にならない(=成績がつかない)科目です。先学期のワークショップは、経済、統計などアカデミックな内容が中心でしたが、今学期は就職に関するアドバイスなど、実務的な内容になるようです。

ということで、今学期は月曜、火曜、そして隔週で水曜に授業があるだけで、木曜~日曜はフリーの言わば「週休4日」になりました。実際には授業がない日も勉強するのでお休みではないですが、それでも気分的に楽です(おかげで風邪をひいた先週もワークショップを欠席しただけで、メインの授業を休まずに済みました)。

今学期は大学の授業の勉強に加えて、自分のタンザニアに関する研究の準備も進めたいと思っているので、有効に時間を使いたいと思います。

2009年1月23日金曜日

風邪

新学期早々、風邪をひきました。10月11月に風邪をひき、12月はフラットメイトIのにんにくがきいたのか大丈夫だったけど、また1月にひくとは・・。一体何回風邪をひけば気がすむの!と誰かに問いただしたい気持ちです。

火曜のお昼、IDSのカフェテリアで、10月に熱が出てご自宅で休ませていただいた先生とお話していて「12月は風邪をひきませんでした!」と豪語していたのに、その日の夜からまた寝込みました。。2日間ひたすら寝て、今日は朝は調子が良かったのに、夕方に熱が上がり、ふらふらしながら、かに雑炊を作り、半分食べて力尽きました。薬も飲んだし、もう寝ます。。

学生になってからの方が、ちゃんと寝てるし食べてるしストレスもないのに。うーん、むしろ働いていたときのような緊張感がないのがいけないのかな。私は学生生活には向いていないということ・・?

写真は、初日の出を見に行ったときに撮ったものです。

2009年1月8日木曜日

2009年アフリカ選挙

1月6日付で、英国放送協会(BBC)ウェブサイトに、「2009年、アフリカには何が待ち受けているか(What lies ahead for Afirca in 2009?)」という記事が掲載されています。政治、特に選挙が中心に書かれています。

アフリカでは、つい最近ガーナで大統領選挙が行われて、僅差で野党候補が勝利し、暴動もなくスムーズに政権交代が行われたところです(野党ミルズ候補50.23%、与党アクフォアドゥ候補49.77%とのことなので、ほんとにわずかな差でした)。

BBCの記事によると、今年は南部アフリカで選挙が多く、アンゴラ、ボツワナ、マラウィ、モザンビーク、ナミビア、南アで、南部アフリカの外に広げると、アルジェリア、コモロ、コンゴ(共)、赤道ギニア、ニジェール、スーダン、チュニジアでも選挙が予定されているそうです。まぁアフリカは大きいので、毎年どこかの国で選挙が行われますよね。

選挙が予定されているアフリカ諸国は、ガーナでの野党の僅差の勝利に注目しているだろうとも書かれています。確かに、アフリカではスムーズな政権交代というのは大きな意味があります。イギリスの新聞には、ガーナはジンバブエやケニアと違って、与党が選挙結果に従って下野してすばらしい、とか、僅差の選挙結果が出ると暴動が起こるというアフリカに対するイメージを改めた方がいい、というような記事も見かけました。

また、BBCの記事は、3月~6月の間に選挙が予定されている南アを取り上げています。南アでは昨年9月にムベキ大統領が、同じ与党アフリカ民族会議(ANC)のズマ議長(党首)との勢力闘争に破れて辞任しています。ムベキ政権下で副大統領を務めていたズマ氏は、汚職を理由に解任されたのですが、党内で支持を集め、07年のANC議長選挙でムベキ氏に勝利し、党首になりました。そして、ANCが党としてムベキ大統領に辞任の圧力をかけたのでした。

それにしても、アフリカの選挙は先進国と比べて生き生きしています。日本でアフリカの選挙に見られるようなお祭り騒ぎは想像できないです。あ、でもアメリカの大統領選挙は盛り上がりましたね。オバマ次期大統領については、世界が金融危機で暗いこともあって、世界の期待がかかっていて、改めてすごい影響力だなと思います。ちょうどオバマ氏の自伝を読んでいるので、いつかブログでご紹介します。

世界各国の選挙結果・予定については、アメリカのInternational Foundation for Electoral Systems (IFES)のElectionGuide
というウェブサイトが便利です。

2009年1月6日火曜日

風水

改めましてあけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

前回書いた09年に調べたいこと、「風水」の本を買ったのですが、一読したら、もう飽きてしまいました。

基本的な考え方は、「気」の流れがスムーズになるように家具を配置するということ。あとは、「家の扉は頑丈な方がいい」とか、「暖炉の周りには鏡や金属製ものを置かない」とか、なるほどと思いましたが、何というかおおよそ想像がつくことばかりで。もっと本格的に調べたら面白いのかなぁ。そもそも中国の思想なので、日本語(漢字)で学んだ方が良かったですよね・・。

ということで、空間シリーズ(?)第2段へ。次は色です。部屋のカラーコーディネーションに関する気になる本があって・・。09年にやりたいことというより、買いたい本があるだけという気もしてきました。

実際、最近、近くのWaterstonesという本屋のインテリアのコーナーによく立ち寄っています。外が寒くて、どこかに出かけるときに途中寄り道をしないともたないというのもありますが、インテリア関係の本はすぐに欲しくなってしまうので危険かも。 (写真は寮のダイニング・スペースです。)