今回は、論文の執筆が遅れていたので、締め切り前の2日間、昼夜を無視した生活を送っていたのですが、こういうときは寝ていても、脳が勝手に論文の構成を考えていたりして、起きた時いやな感じがします。一度、論文が突然、筆記試験に変更になって慌てる、という夢を見ました。。なぜか日本の温泉宿にみんな集められて、試験が始まってしまい大慌て・・。起きた瞬間も慌てていて、急いでパソコンを開いて勉強しようとしたりして。そのときは、フラットメイトとご飯を食べて、一度落ち着いてから勉強に戻りましたが。
さて、その論文ですが、テーマはマックス・ウェーバーの「官僚制」の原則に沿っていない組織を選んで、その長所・短所を論ぜよというものでした。私は、日本の官僚の天下りを事例に、天下りがウェーバーの「官僚制」の官民分離の原則から外れているという点について書きました。
日本を事例に、英語で論文を書いたのはたぶん初めてだったと思います。日本人なら誰でも知っているような内容になりましたが、今回、自分の国について書くのはなんて自然なんだろうと思いました。日本語の文献を取り入れて、独自性を出すこともできますし。
それに、日本の政治に関する英語の論文や本を読むのは意外と面白いです!これまで、日本の政治は勉強の対象とは思っていませんでしたが、これからアフリカに加えて、日本についても見ていきたいと思います。
そういえば、天下りについて書かれた論文記事に、突然、サムライ精神みたいな言葉が出てきて、えっと思った箇所がありました。ちょっと見てみます・・、あ、ありました。
「サムライ的な倫理観や省庁への忠誠心が、元官僚が単なる資本主義の道具になるのを防ぐのだろう。('The samurai ethic and loyalty to the grands corps are likely to prevent ex-bureaucrats from becoming simple capitalist tools.')」
天下りによる官から民への人の動きによって、国家が市場に吸収されてしまう可能性はないのかという、いかにも学術的な問いに対する説明の一部なのですが、サムライ的な倫理観があるから、と書かれるとは・・。海外の研究者にとっては、日本はやっぱり、サムライ、ハラキリ・・の国なのかなぁ。
写真は今月初旬に雪が降った時に撮ったものです。
(出典:Schneider, B. (1993) 'The Career Connection: Comparative Analysis of Bureaucratic Preferences and Insulation', Comparative Politics 25.3: 331-350)
2 件のコメント:
こんにちは、おひさしぶりです。初めてお邪魔させていただきました。
サムライって発想は面白いですね。実際その方が上手くいき易いのかもしれませんが、日本ってやっぱり他の先進国とは少し違う角度から見られているような気もします。中川前大臣の報道を見て、どうもエリツィンの時とは違うな、とか思いますし。
官僚、サムライと聞けば僕は江戸時代のサムライを思い浮かべます。彼らって石高制だったからサラリーマンみたいなとこがあったし、定期的にお城へ働きに行っていたから公務員みたいなとこがあったし、支配者の正当性が儒教によって成り立っていたし。
とりとめがなくなっちゃいました。また、お邪魔させていただきます。
論文と試験が一緒というのは辛いですね。今回はお風邪をひきませんでしたか?
日本の官僚制をサムライと結びつけるのはいかにも西洋人らしい発想ですね。でも現代の若い官僚もそんな精神あるでしょうか・・・?
私も日本の官僚制を勉強しています。
官民分離に異論を唱えたので有名なのは、80年代に出たCharmers Johnsonの「通産省と日本の奇跡」でしょうか?官僚が企業を巻き込み護送船団方式で産業政策を構築した事例を書いていますが、ODAではどうなんでしょう。官僚とゼネコン、商社が一緒になると癒着とか危うい世界になりますね。
あとSilvermanという人は「Cages of Reason」という本の中で、日仏英米の官僚制の比較をしています。彼によると日仏の官僚制度は中央集権・終身雇用・「組織特殊的」な技能形成などの特徴でよく似ておりきわめてウェーバー的、英米の官僚制度は分権的・専門家志向、Lawyer中心という点で似ているおり、ウェーバー的官僚とはかけ離れているとのことです。確かにそう言われるともっともと思うものの、一方で最近は日本の官僚制も時代により変化して、だんだん英米に近くなっている感じもします。。。
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