私は19世紀後期の印象派、特にクロード・モネの絵が好きなのですが、オランジェリー美術館にはモネの睡蓮の絵が四方をぐるりと囲む部屋がありました。
オルセー美術館(右上の写真)は、1900年のパリ万博のときに建てられた駅舎を利用してつくられた美術館で、内装や美術品の展示の仕方のセンスが良くて、個人的にはルーヴル美術館より気に入りました。
オルセー美術館(右上の写真)は、1900年のパリ万博のときに建てられた駅舎を利用してつくられた美術館で、内装や美術品の展示の仕方のセンスが良くて、個人的にはルーヴル美術館より気に入りました。
「死の床のカミーユ」の話は10年以上前にさかのぼります・・。高校3年生のときに小論文の授業で読んだある文章に、「画家は、大きな絵を描くときでも、腕(+筆)の長さが決まっているから、キャンバスの近くから絵を描くが、絵全体がどんなふうに見えるか確認するために、時々絵を遠くから見る。絵を鑑賞する時には、画家と同じように絵を近くから見たり、遠くから見たりするのが良い」と書いてありました。絵のみならず、物事は近くから見るのと遠くから見るのとでは違って見えてくるという主旨です。
私はそれを読んだあと、たまたま上野で開かれたオルセー美術館展に行ったので、試しに絵を遠くからと近くから見てみました。すると、モネの絵は、近くでみると勢いだけでいい加減に線を描いたようなのに、遠く離れると、風景や人物の輪郭、光の明暗がくっきりと見えました。遠くに離れれば離れるほど、くっきりとしてきて、きめ細かく描かれた写実的な絵よりも、鮮明でした。
近くで見ると雑なのに、遠くから見たらくっきりと絵が浮かび上がる、この差が面白くて、絵に近づいたり離れたり、ジグザグに歩きながら、絵を見ていきました。ところが、唯一モネが描いた「死の床のカミーユ」だけは遠くから見ても近くから見ても、灰色でぼんやりとしていて、輪郭や色がはっきりと見えませんでした。
「死の床のカミーユ」は、モネが息をひきとっていく妻カミーユを描いたものです。私はそのとき、モネは愛する人を失っていく時に感じた悲しみや喪失感などの感情を、絵で表現するより他なかったのではないかなと思いました。私は単純なので悲しければ泣きますが、悲しみを怒りで表す人もいます。モネの場合は、絵を描くということだったのではないか。感情のままに描いたから、遠くから見たらどんなふうに見えるかという計算をしていないから、遠くから見てもぼんやりしているのではないか。「死の床のカミーユ」からは、モネが絵を描かなければいてもたってもいられなかった、その時の悲しみが伝わってくるような気がしたのです。
先月、パリのオルセー美術館で、10年以上ぶりに「死の床のカミーユ」を見たとき、この絵に再会できた喜び、再びモネの悲しみに触れたような感覚、それから初めて絵を見たときの自分の素直な感性、あれから過ぎた10年の月日・・などに思いを馳せて、胸がいっぱいになったのでした。
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