2010年10月1日金曜日

タンザニアへ

8月に一時帰国して、その後ブライトンに戻ってきてから、いろいろなイベントが続いたので、ブログを書かないまま時間が経ってしまいました。

一時帰国は、妹に子どもが生まれたので会いに帰ったのですが、妹もベビーも元気で、家族とゆっくり過ごせてよかったです。その後、ブライトンに戻ってからは、研究概要を仕上げて大学に提出したあと、急遽引越しすることとなって近所に引っ越し、翌日からオックスフォード大学で開かれた英国アフリカ学会に出席してきました。私は発表はせずに参加しただけなのですが、本や論文で名前を良く知っている先生方がいらっしゃって、とても有意義でした。その後、タンザニアでの調査に向けた準備をしているうちに、あっという間に9月が過ぎていきました。

明日、タンザニアに移動します。来年4月まで7ヶ月滞在する予定です。2008年にタンザニアを離れてから、また行きたいと何度も思いながら2年も経ってしまったので、再訪がとても楽しみです。

ブライトン・ジャーナル用の下書きや写真がいくつか残っているのですが、それは来年ブライトンに戻ってきてから掲載することにして、今後は「ダル・ジャーナル」の方に書いていきたいと思いますので、そちらをご覧いただければ幸いです。うーん、今ダル・ジャーナルを見ると懐かしいな・・。

写真はオックスフォード大学にある聖メアリ教会の塔から撮ったものです。

2010年7月21日水曜日

発表

先週金曜に研究概要発表が終わりました。IDSのガバナンス・チームの先生方や博士課程の学生たちが来てくれて、私の研究テーマについて議論してくれた30分は、これまでに経験したことのない非常に貴重な時間でした。発表後に、博士課程の学生の部屋(DPhil Room)に戻った後も、学生との議論が続いて、さらに新たな視点を得ることができました。

自分ひとりで追っていた研究テーマが、指導教官、他の先生、学生にどんどん伝わっていって、「自分だったらこう考える」「これはこういう意味なんじゃないか」と考えを共有してもらうことは本当に有難いです。私にとっては、優秀な先生や学生の頭脳の一部をお借りしているような感じです。

月曜に、指導教官のお二人にお会いして、さらにいろいろアドバイスをもらいました。お二人ともいつも親身になって指導してくださって、ほんとうに有難いです。他にも研究概要を書いている最中に、1時間以上かけて一緒に研究概要の中身を見てくれた元フラットメイトのAや、研究概要のドラフトを全て読んでコメントをくれたFや、スワヒリ語の先生、ケニア人の友人、日本人の友人、元クラスメイト、事務のスタッフ、今住んでいるお家の家主、みんなにサポートしてもらいました。私はなんていい人たちに囲まれているんだろう・・と思って、有難い気持ちでいっぱいになりました。

写真はIDSの入り口です。

2010年7月13日火曜日

近所

今週金曜の研究概要発表(Research Outline Seminar)まで、あと数日となりました。ここ1ヶ月くらい黙々と、この研究概要を作っていて、昨日IDSに提出したので、あとは金曜に先生方の前で発表して一段落です。研究概要の発表は、博士課程1年目の終わりに行うもので、発表後、研究概要を大学に正式に提出して、現地調査に行ってよいという許可を得て、2年目に調査に行くという流れです。私はまだ1年目の途中ですが、10月から現地調査に行きたいと思っているので、早めに発表することにしたのです。今日、発表用のパワーポイントを作ったら、スライド34枚になりました。発表時間30分なので、ちょっと厳しいかな・・。明日、指導教官に会うので、アドバイスをもらってきます。

研究概要を書いている間、家からセント・ジェームズ・ストリート(St. James's Street)にあるモリソンズ(Morrisons)というスーパーまで買い物に行くのがちょっとした息抜きでした。私が下宿している家のあるハノーバー(Hanover)というエリアからモリソンズまで歩いて20分くらいですが、ハノーバーの住宅街を通り抜けるのが、なかなかよい散歩道なのです。ハノーバーは高台なので、西側にブライトン駅の一帯が見えますし、最近、近所に素敵な通りがあるのを見つけました。この通りの東側に並ぶ家は、壁の色、番地のナンバープレート、ドア、窓の飾りなどが1軒1軒違っていて、それぞれに表情があるのです。この通りを通るときは、ずっと家を眺めているので、横を向きっぱなしです。それから、先日、夜に元フラットメイトのAと歩いていたら、セント・ジェームズ・ストリートの手前で、キツネの親子(か夫婦か兄弟)を見ました。Aは前にもその辺りでキツネを見たそうです。ハノーバーに住んでいるのでしょうか。

2010年6月25日金曜日

手書き

私が尊敬するデザイナーのヨーガン・レールさんは著書の中で、手仕事の速度が、理想とする速度だとおっしゃっています。手で作業する速度が自然の速度であって、手仕事による環境破壊は自然の自己回復力の中におさまるけれど、機械生産の速度による環境破壊は自然の均衡を崩して、回復できなくなるのではないかと。

そこで私も手書きの速度が、思考する上での理想の速度なのではないかと思い、今日から勉強する際にパソコンに向かってタイプするのではなく、紙に書いて考えることにしました。以前から論文の構想を練るときは、ノートにいろいろなアイディアを書きながら考えていますが、ここ数日、片面プリントアウトして要らなくなった紙がたくさん出てきたので、今日は大学のカフェで、その紙の裏に読んでいる本の要点やコメント、図などを書いたりしてみました。

パソコンの方が早く文章が書けますし、紙に書いた場合、あとで大事なところをパソコンでタイプしなおすので、二度手間になりますが、やっぱり手書きの方が、読んでいる文章がしっかり理解できて、それに対して自分がどう考えているのか確認しながら進められる気がします。矢印や絵や図も思いついたらすぐ書けますし。手が疲れて字が荒くなってきた頃には、きっと脳も疲れているだろうから、ひとやすみ。パソコンでタイプしていると、脳が疲れても気づきにくいので・・。それに、自分の字が好きなのでよかったです。子どもの頃にペン習字を習わせてくれた(当時はいやいや練習していたような気がするけど)母に感謝。

2010年6月7日月曜日

とび箱

今朝バスに乗っているとき、突然、小学生の頃のとび箱を思い出しました。何年生だったか忘れましたが、ある日の体育の時間に、クラス全員でとび箱4段をとぼう、ということになったのです。私は運動神経のいい男の子たちが6段や7段をひらりととぶのを見るのは好きでしたが、自分自身はとび箱は苦手だったので、そのときはクラスで最後の1人になってしまったのでした。とび箱の向こう側で、先生とすでに跳び終えたクラス全員が応援してくれる中、何度もトライするのはとても大きなプレッシャーでした。やっと、お尻をちょっとひっかけたけど跳ぶことができて、クラス全員がわーっと駆け寄ってきたとき、私は泣いてしまったのでした。跳べたことが嬉しかったのではなくて、惨めな気持ちになったからです。とび箱でも何でもいいのですが、クラスで一番最後になる経験をした方は、こういう子どもの頃の自尊心とか、泣かないようにぐっと我慢するときの気持ちとか、きっとわかると思います。あの時のプレッシャーに比べれば、先生方の前で行う博士課程の研究計画発表なんて全然大したことないです(笑)。

2010年6月1日火曜日

小雨

6月になりました。早いです。バスの中で手帳を眺めていて、今月は毎週何かしら締め切りのある月だということに気づきました。頑張ります。ブライトンは今日は小雨が降っていて寒かったです。Yちゃんと外を歩いていて、「この天気、冬だよね」と2人で嘆いていました。

さて、毎日メールで送られてくる開発学研究所(IDS)のメディア・ブリーフ(開発に関する新聞記事のリンクを集めたもの)の冒頭に、緑の党(Green Party)のキャロライン・ルーカス(Caroline Lucas)議員が、議会での初演説でIDSに言及した、という記事が紹介されていました。先日ブログに書きましたが、ルーカス議員は、ブライトンのパビリオン選挙区から選ばれた緑の党の党首です。IDSのウェブ上の記事演説全文を見てみました。演説ではブライトンの様々な特徴が述べられていますが、確かにIDSも言及されていて興味深いです。他の部分もざっと読みましたが、政党から唯一選ばれた議員(a single MP)でもいろいろなことができるという点を強調していました。最近、議会政治に関する本ばかり読んでいることもあり、小さな政党の議員と選挙区の関係についてちょっと考えてしまいました。うーん、他のことも考えよう。。

2010年5月25日火曜日

初夏

ブライトンは、先週からすっかり初夏の気候になりました。イギリス人の夏服への切り替えは早くて、すでにタンクトップ、ショートパンツ、ミニスカート、サンダル・・という格好の人たちも。私はイギリスのお天気には懐疑的なので、きっとまた寒くなると思いつつ、恐る恐る数少ない夏服に切り替えて、ずっと冬のブーツを履いていたので、サンダル、サンダル・・と探してみましたが、みんなが履いているような夏物のサンダルはないのでした。とりあえずブーツはしまいましたが、夏物を買いに行かなくては。

写真はブライトンではなく、母が実家で育てているバラです。他にも、いろいろな種類のバラが咲いているようです。このバラを見たら、星の王子さまを思い出しました。バラに「朝のお食事の時刻ですわね。あたくしにも何かいただかせてくださいませんの」と言われて、王子さまがお水をあげたところのようです。

2010年5月8日土曜日

選挙

先週から近所の小さな公民館で行われているヨガのクラスに通い始めたのですが、金曜はそこが総選挙の投票所になっていました。今住んでいる家の家主が、投票しに行く際に誘ってくれて、投票所(その公民館)まで着いていきました。イギリスで投票所の様子を見ることができるとは思っていなかったので、家主に感謝です。

中に入ると、いつもヨガが行われている1階の大部屋が投票所でした。受付の際に、住んでいる通りによって2つの列に分かれるのですが、その仕切りがダンボールと椅子で、表示はマジックの手書き、投票箱も(遠くからしか見ていませんが)年季が入っているようで、全体的に日本の投票所よりもアットホームな雰囲気でした。

そして、選挙結果が出ましたが、ブライトンのパビリオン選挙区(ロイヤル・パビリオンの周辺)からはイギリス総選挙で初めて緑の党(Green Party)の候補者が選ばれました。ガーディアン紙のウェブサイトの選挙結果マップをご覧いただくと、南東部の海沿いにひとつ緑のところがありますが、それがブライトン・パビリオン選挙区です。緑の党は、自然環境保護をまず第一に訴えている党です。自然に優しい生活スタイルが好きな人たちの多いブライトンのアイデンティティの表れのようで興味深いです。

2010年4月28日水曜日

心理学セミナー

昨日、大学で開かれた心理学の公開セミナーに出てみました。タイトルは「紅茶を淹れるのは簡単ではない(Making tea is not a piece of cake)」で、人が日常生活を営むために必要な記憶がテーマでした。なぜこのセミナーに出たかと言うと、もちろん内容に興味を持ったからですが、最初にタイトルにひかれたからです・・(「piece of cake」は「簡単な」という意味ですが、紅茶とケーキという言葉からイギリスの紅茶やお菓子についてのセミナーかと思ったのです)。

内容は、講演した先生が取り組んでいる3つの研究プロジェクトの紹介で、そのうちのひとつは、認知症によって、紅茶を淹れるという作業がどんなふうに忘れられていくのかという研究でした。紅茶を例にしているところがイギリスらしいです。数年にわたって観察したところ、認知症の人には、紅茶を淹れるのにあまり重要ではない作業(例えば砂糖を加えること)から忘れていき、不可欠な作業(例えばお湯を沸かすこと)は最後まで覚えている傾向があることがわかったそうです。

また、ある被験者の映像を見たのですが、その人は紅茶を淹れたあと、砂糖を加えるところまでは完璧なのですが、最後にミルクを入れるという作業を忘れてしまっているため、砂糖を加えてかきまぜる作業を延々と繰り返していました。ただし、スプーンを正しく使ってかきまぜること、砂糖の容器のふたを閉めること・・など、ひとつひとつの作業はきちんと行われていました。問題はそれらをうまくつなげる記憶が欠けてしまったことでした。これは事故などで脳に障害を負った人たちの記憶の失われ方とは異なるようです。

公開セミナーだったせいか、説明がわかりやすく、専門用語を知らなくてもだいたい内容がわかりました。それに、全く違う分野の研究について聴くと、自分の研究についても、いったん距離をおいて、客観的に見られるような気もします。せっかくいろいろな分野の研究が行われている大学にいるので、また他のセミナーにも出てみたいと思います。

2010年4月26日月曜日

ウォーキング

昨日、IDSのガバナンス・チームのM先生が企画したサウス・ダウンズ(South Downs)のウォーキングに参加してきました。ブライトンの東にあるシーフォード駅(Seaford Station)に集合して、海沿いの丘陵を歩き、途中セブン・シスターズのあたりで内陸の方に北上して、アルフリストン(Alfriston)という小さな村まで行きました。そこでクリーム・ティー(イギリスの伝統的な紅茶とスコーンのセット)をして、バスでブライトンまで帰ってきました。計11キロくらい。M先生と何人かはさらに歩き続けていましたが・・。

2008年11月にもM先生のウォーキングに参加したのですが、そのときは上り下りの連続でみんなについていくのが大変で、途中で雨が降ったこともあり、帰ってきてから風邪をひきましたが、今回は平らな道が多かったので、最後まで気持ちよく歩くことができました。

左上の写真は、セブン・シスターズです。この角度からセブン・シスターズを見たのは初めてでしたが、靄がかかっていて、ちょっと幻想的でした。暖かくなったので、また是非ウォーキングに行きたいと思います。

2010年4月18日日曜日

引越し

ブライトンでは、春らしい暖かいお天気が続いています。いろいろな花が咲いているのですが、黄色いラッパスイセン(右の写真)が特にたくさん咲いています。ラッパスイセンが春の象徴の花なのかもしれません。今日は特に暖かくて日差しも強く、年に一度のブライトン・マラソンが行われたのですが、走り終えたばかりの人たちを見て、ひとあし先に夏のような気分になりました。

さて、先週金曜に引っ越しました。ケンプタウン(Kemptown)の家の地下の部屋から、ハノーバー(Hanover)にある大学の先生のお家の一部屋へ。ハノーバーは、ロイヤル・パビリオンの北東にある住宅街です。急な坂道になっていて、このお家は坂の上にあるので、家に帰るたびにいい運動になります。ケンプタウンのお家からサセックス大学までは、バスを1度乗り換えて45分くらいかかりましたが、これからはバス1本で行けます。昨日スワヒリ語のレッスンがあって、大学に行きましたが、最寄のバス停から15分で着きました。近い!

早速、部屋に必要な小物の買い物をしています。いくつもお店を回って選ぶのが楽しいです。今日はノース・レーン(North Laine)にある骨董品屋さんで、ガラスのティーポットを買ってしまいました。本当はごみ箱を買おうと思ったんですけど・・。この部屋には棚がたくさんあるので、棚に何を置こうか、暖炉があるので、暖炉周りに何を置こうかなど、考えているだけで楽しいです。

明日から夏学期が始まります。今学期は比較政治の授業を取ることにしましたし、リサーチ・アウトライン(研究概要)もまとめていかなければいけません。気持ちを新たにがんばります。

2010年4月13日火曜日

文化の下の文化

2月からタンザニア人の方からスワヒリ語を教えてもらっています。まだ基礎レベルなのですが、先生のIがとってもいい方なので、スワヒリ語の時間がいつも楽しみです。

Iからは、いろいろ興味深い話を聞きます。先日の授業では、はっきり言ってください、わかるように言ってくださいよ、という意味の「セマ ワーズィ(Sema wazi)」という例文から発展して、タンザニアの民族ごとに異なるコミュニケーションの仕方の話を教えてもらいました。タンザニアは120以上の民族から成る他民族国家なのですが、それぞれの民族に哲学があって、その哲学の違いによって、コミュニケーションの仕方が少しずつ異なるのだそうです。

彼女の出身のへへ族(Wahehe)では、言葉にはせずに、行動で意思疎通する伝統があるそうです。例えば急に家にお客さんが来た時、歓迎の意をこめてご飯を作って出すのですが、その際に「ご飯を食べてきましたか?何か作りましょうか?」と聞くのは失礼になるそうです。というのは、そう質問したら、相手は「いや結構です」と断る場合が多いので、その質問をすること自体が、相手にご飯を出したくないという意味を伝えることになってしまうとか。そこで、空腹かどうか聞かずにご飯を出します。

お客さんの方は、もしお腹がすいていなかったとしても、「ご飯を食べてきたから結構です」とは言わずに、食べられるだけ食べます。そうすると、「お腹は空いていなかったけれど、有難く頂戴しました」という意味が伝わることになり、それでお互いの関係が保たれるのだそうです。

今は伝統も変わってきているので、そこまで厳密ではないようですが、言葉を介さないコミュニケーションの仕方は、他の民族の人たちから見るとわかりにくく、混乱を招くこともあります。そこで、民族間のコミュニケーションの違いによる混乱を防ぐという意味でも、誤解のないようにはっきり言ってくださいね(Sema wazi)という冒頭の例文が使われます。

タンザニア全体の文化の下に、民族の文化があって、民族の下にはさらに細かいグループ(クラン)の文化があって・・、Iの言葉をそのまま借りると、文化の下に文化(culture under culture)があるということです。

ちなみに、へへ族のように行動で何かを伝えたり、行動から相手の言いたいことを読んだりするのは、日本人のコミュニケーションにも通じるところがあるので、日本人にとってはそんなに特別には感じられないかもしれませんね。

2010年3月24日水曜日

つづり

今週から春休みに入ったので、IDSは修士課程の学生がいなくて静かです。さて、先日あるレポートの参考文献リストを作っていて、あららと思ったことがありました。

ご存知のように、アメリカとイギリスでは発音が同じでも、つづりが少し違う単語があります。例えば「組織」という単語は、アメリカ英語では「organization」ですが、イギリス英語では「organisation」と、「z」ではなくて「s」を用います。私はアメリカの大学院で学んでいた頃まではアメリカ英語のつづりを書いていましたが、そのあとの勤務先、タンザニア、それから今もイギリス英語なので、すっかりイギリス式のつづりに馴染んでいて、パソコンでタイプするときは無意識のうちにイギリス英語を使っています。

先日、作り終えた参考文献リストを見直していたら、アメリカのノーベル経済学者のジョセフ・スティグリッツ教授の名前のつづりが「Stiglits」になっていることに気づきました。正しくは「Stiglitz」です。知らぬ間に、「z」をアメリカ英語と認識して、イギリス英語の「s」に変換してタイプしてしまったようです。スティグリッツがイギリス人に・・!英語の名前をタイプする際にはご注意を(ってこんな間違いをするのは私だけですかね)。

2010年3月13日土曜日

世界と日本

学生生活を送っていると考える時間がたくさんあるので、いろいろな概念や言い回しを思いつきます。しばらく1つの概念がくり返し出てきて、そのうち消えていくことが多いので、書き留めておかないと忘れてしまいます。

1月にイギリスに来てからしばらくの間、私の中で流行っていたのは、「日本は世界の一部であり、世界は日本の一部である」というフレーズでした。しばらく日本で過ごして、またイギリスに戻ってきたので、日本にいる自分と海外にいる自分がどうつながっているのかという説明が必要だったのかもしれません。ある意味、私なりのカルチャーショックへの対応とも言えます。

さて、日本が世界の一部であるのは当然ですが、世界が日本の一部であるというイメージは私にとって新しいものでした。そう考えるようになったのは、帰国中に読んだ『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で』や、エドワード・W・サイードの『知識人とは何か』といった本からの影響もあります。

「世界は日本の一部である」の例としては・・、私は以前、外国の事象について書かれた英語の専門書を日本語に翻訳する意義はあまりないんじゃないかなと思っていました。もちろん日本語の方が読みやすいので、訳書があればそれに越したことはないのですが、専門書を訳しても、研究者や大学生など一部の人たちしか読まないだろうし、その人たちは研究に必要なのであれば、勉強して原書でも読めるようになるだろうし。翻訳にかかる手間を考えると、費用対効果が果たしてあるのか・・。それに、そもそも翻訳によって変わってしまうもの、失われてしまうものがあるので、むしろ読者は苦労してでも英語のまま読んだ方がよいのではないかと。

でも、今回イギリスに来てから考えたのは、外国や社会で起こっていることの記録や分析のなかには、日本と直接関係なくても、日本の知識や知見の一部となるべきものもあるのではないかということです。日本の知見は、日本語という言語によって積み重ねられているので、翻訳は「日本の知の蓄積」に貢献すること。原書よりも訳書の方がはっきりとその蓄積の一部となる。だから、日本の知見となるべきと考えられる専門書は、仮に読む人が少なくても、日本語に訳す意義があるのではないかと思ったのです。

世界も日本も同じ時間の流れを共有しているということ。そして、どこかの国の人々が経験したことは、日本人がたまたま経験しなかったけれど、もしかしたら経験していたかもしれない、もうひとつの時間の流れ、あるいはもうひとつの歴史の可能性であるということ。

最近はほとんど思い出さないのですが、今振り返ってみると、「世界は日本の一部である」とイメージすることで、日本人の自分が、外国に身をおく意味を見出そうとしていたのかもしれないですね。外国で経験したことを、最後には日本に持って帰りたい願望・・というか。

2010年3月7日日曜日

デビルズ・ダイク

今日は同じ家に住んでいるDのお誕生日だったので、みんなでデビルズ・ダイク(Devil’s Dyke)に行ってきました。デビルズ・ダイクはブライトンの中心からバスで30分くらい北上したところにある丘陵です。「悪魔の堤防」という意味なので、岩がゴツゴツしているところを想像していたのですが、実際には緑の丘陵でした。高台になっているので、バスから遠くのブライトンの街や海が一望できて綺麗でした。

デビルズ・ダイクではウォーキングなどもできますが、寒かったこともあり、パブに直行して、ご飯を食べてきました。パブと言っても居酒屋ではなく、田舎にあるカントリー・パブは伝統的なレストランという感じです。私はフィッシュ・パイを食べました。パイという名前ですが、一言で言うと魚の入っているポテト・グラタンです。カントリー・パブでフィッシュ・パイを食べるのは2回めですが、2回とも茹でたベビーキャロットとブロッコリーが付け合せでした。ニンジンとブロッコリーという組み合わせも定番なのかな。

最後にアップル・クランブルというイギリスのデザートも食べて、お腹いっぱいになったので、帰りはブライトンの街中から家まで歩いて帰ってきました。デビルズ・ダイクはセブン・シスターズの白い岸壁のような見所があるわけではありませんが、よい気分転換になりました。暖かくなったら、またピクニックで行きたいです。

写真を撮るのを忘れたので、セブン・シスターズの羊の写真を載せました。この羊、美脚ですね。そういえばデビルズ・ダイクには羊はいませんでした。

2010年2月25日木曜日

風邪

昨日、風邪をひきました。昨年のイギリス滞在中に4回風邪をひいたので、もうさすがに免疫ができただろうと思っていたら、あっさりと・・。1日寝たら熱は下がりました。日本人の方とお話していると、イギリスに来て最初の頃、頻繁に風邪をひいたという方が時々いらっしゃるので、私だけではないようですが。昨年は1ヶ月おきに風邪をひいていたので、同じペースでいくと、次は4月かなぁ(涙)。

2010年2月19日金曜日

ケンプタウン

ブライトンに来て1ヶ月が経ちました。昨年は海沿いの大学の寮に住んでいましたが、今回は大学の寮が満室で入れなかったので、IDSのニュースレターの告知を見て住むところを決めました。

前から一度住んでみたいと思っていたケンプタウン(Kemptown)というブライトンの東の地域です。因みに、19世紀にケンプさん(Thomas Reed Kemp)が開発した地域だから、ケンプタウンというそうです。ブライトンは、ゲイ・レズビアンの多い街なのですが、ケンプタウンは特に多い気がする・・と思っていたら、ケンプタウンの目抜き通り(St. James Street)にブライトン初のゲイのカフェができたのだそうです。

住んでいるのは、住宅街にある家の地下の部屋です。地下と言っても、一面が窓で、外が庭なので明るいです。部屋は広くて、壁にいくつもアフリカのお面が飾ってあったり、シマウマの皮の敷物がしいてあったりして、アフリカンなインテリアが好きな私にとっては、ある意味、理想の書斎と言えるかもしれません。

大学の先生のお宅なのですが、3ヶ月留守にするとのことで、その間、私が地下に、同じく先月IDSの博士課程を始めたMと、彼女の家族が上の階に住んでいます。もともと子どものいるお家なので、大学の寮とだいぶ雰囲気が違います。住み心地がよいので、4月に出なければいけないのが残念です。

ケンプタウン周辺の写真はまだないので、ロイヤル・パビリオン前のバス停の写真を載せました。

2010年2月15日月曜日

名前

前にも何度か書いていますが、名前について。私の名前は、ウガンダのある部族の言葉では「疑い深い」という意味になると聞いたり、実はスワヒリ語の3月(Machi)から来ているのではないかと勝手に推測したりしましたが、昨年同じフラットに住んでいたクロアチア人のIから、クロアチア語の意味を教えてもらいました。

私は英語で自己紹介するときは、相手が発音しやすいように、chiにアクセントを置きます。マチーコという感じです。ある時、Iに本当はmaにアクセントを置いて、chiは短く発音するのだと伝えたら、クロアチア語では「子猫(machko)」という意味になると言われました。猫はマチカ(machka)だそうです。疑い深いよりはずっといいですね。その後しばらく、Iからは日本語の発音で呼ばれていました。

今一緒に住んでいる家族の2歳の女の子Tからは、チコと呼ばれています。毎朝、笑顔で「ハロー、チーコー、ハウアーユー」と挨拶してくれるのですが、あまりにもかわいいので一緒に遊びたくなって、勉強する気がなくなります。それに、Tに呼ばれるようになってから、なぜか他の人たちからもチコと覚えられることが多くなりました。知らないうちに自己紹介するときにチコって言っているのかも。。

2010年2月6日土曜日

ウィリアム・ケントリッジ

イギリスに来る少し前に、東京国立近代美術館の「ウィリアム・ケントリッジ-歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた・・・」という個展を見に行きました。ケントリッジは1955年生まれの南アフリカのアニメーション・フィルム作家です。木炭とパステルで描いた絵(ドローイング)を部分的に何度も描きなおしながら、撮影するという手法でアニメーションを作っています。

彼の初期作品では、アパルトヘイトや脱植民地主義がテーマになっていて、彼の目から見た当時の社会の暗い雰囲気が出ていて、とても印象的でした。 『流浪のフェリックス』という作品では、フェリックスという白人男性が、黒人女性の目を通して世界を見ているのですが、路上で亡くなった人の上に新聞紙が何枚も重なって風化していく絵がくりかえし出てきて痛々しかったです。

ということで興味深かったのですが、2006年に行った六本木ヒルズ・森美術館のアフリカ・リミックス展でも思いましたが、もう少し作品の背景説明があったらよかったのになと思いました。たしかに純粋にアートとして見てもらうためには、説明は少ない方がよいのかもしれません。あるいは、詳しく知りたい人はギフトショップで売られている本を買ってください、ということなのかもしれませんが・・。

例えばケントリッジの展示では、彼がアパルトヘイトに対してどういう問題意識をもって作品を作ったのか、作品のどの部分にどういう現実が投影されているのか、そういった説明があったら、日本人でももう少し、当時の南アに住む人々の感覚を身近に感じることができるのではないかなと思いました。

2010年1月17日日曜日

ブライトン到着

木曜にブライトンに到着しました。長いフライトだったので相当疲れましたが、一晩寝たら元気になり、翌日大学へ行って来ました。ブライトンは、町並みも大学もほとんど変わらないです。大学に行く途中、ロイヤル・パビリオンを見たら、イギリスらしからぬ建物ですが、逆にブライトンに帰ってきたと感じました。変わったこと言えば、IDSの入り口の改装工事が終わって、写真のようにカラフルになっていました。

月曜に春学期が始まったのですが、雪のために水曜は休校になったそうです。その後、寒さが和らいで雪が溶け始めていて、いい時に帰ってきたねと言われました。

指導教官のお2人にもご挨拶しました。時差ぼけはないです、と言ったら、それは明日来るよ、と言われました。そんな筋肉痛みたいな・・と思っていたら、確かに朝6時前にぱっちり目が覚めます。イギリスの冬は夜が長いので、明るくなるまでしばらく時間があるのですが、せっかくなので早寝早起きでいきたいと思っています。

2010年1月5日火曜日

新年

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。お正月は7年ぶりに家族とゆっくり過ごしました。毎年、お正月は日本が一番いいよな、帰りたいなぁ、とぼやきながら海外で年を越していましたが、やっと日本でお正月を迎えられました。

昨年のお正月には確か風水に関心があったのですが、今年は抱負を考えてみました。キーワードだけですが、「積み重ね」、「場数」、「精緻」です。積み重ねと場数はほとんど同じ様な気もしますが。。今年は博士課程の1年目ですが、前半はリサーチ・アウトライン(研究概要)を作って承認を得なければいけませんし、後半はタンザニアで現地調査を始められればと思っています。やることはたくさんありますが、一歩一歩前に進んでいきたいと思います。

IDSのLawrence Haddad所長による「2010年の10の予測(Ten Predictions for 2010)」という記事がIDSのウェブサイトに記載されましたので、ご参考までに。個人的には、60周年を迎えた英連邦(Commonwealth)が今後、重要性を増すのではないかという予想が興味深いです。英連邦にはイギリスの植民地だった国々が加盟していますが、記事にも書いてあるとおり、イギリス植民地ではなかったルワンダが、昨年、英連邦に申請して加盟が認められました。他にアフリカでは、元ポルトガル領のモザンビークも英連邦に入っています。大英帝国の名残のようでいて、今も意義があるのですね。ブライトンに戻ったらちょっと調べてみます。