2008年11月28日金曜日

キャパシティ・デベロップメント

先日、同じガバナンス・プログラムのBが、「私は大学に開発の定義を学びに来たのに、どの言葉も定義が曖昧でたくさんあって、一体どうなってるの!」と言っていました。確かに開発に関する言葉はぴたりと1つに定まりません。そもそも「開発」という言葉も曖昧ですし・・。

私にとって、曖昧で苦手な言葉の1つが「キャパシティ・デベロップメント(和訳すると「能力開発」ですが、片仮名のままキャパシティ・デベロップメントと言ったり、短縮してキャパビルと言ったりもします)」でした。キャパビルは頻繁に出てくる言葉ですが、私は「開発」は突き詰めると、全てキャパビルだよなぁと思っていて、わざわざ「キャパシティ(能力)」という言葉を付ける意義がわからならないままでした。

先週、キャパビルが『開発と政策、根拠と実践における考え方』の授業で取り上げられ、定義は幅広いままですが、この言葉がどういった経緯で注目されるようになったかという背景がわかり、自分の中のモヤモヤがだいぶ晴れました。

キャパビルもそうですが、開発に関するいろいろな概念(例えば、参加型、市民社会、人間の安全保障など)は、それがどういう経緯で生まれ、どう発展したかを理解・解釈することが大事です。というのは、こういった概念は、国際社会から注目されるようになると、いろいろな人がいろいろなことを付け足していくので、どんどん定義が多様になり、焦点がぼやけていくからです。組織の「mission creep」ならぬ、「definition creep」と言ってもいいかもしれません。

因みに、私にとってのキャパビルのポイントは、元来、途上国で技術的なトレーニングを行っていた人たちが中心になっているということでした。・・と、これだけ書いても意味不明ですが、説明するとちょっと長くなってしまうのでまたいつか書きたいと思います(すみません!)。要するに、どういう人たちがどういう意識・意図で、その言葉を使うようになったかを理解するのが重要だということです。

写真は晴れの日の大学です。

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