
学生生活を送っていると考える時間がたくさんあるので、いろいろな概念や言い回しを思いつきます。しばらく1つの概念がくり返し出てきて、そのうち消えていくことが多いので、書き留めておかないと忘れてしまいます。
1月にイギリスに来てからしばらくの間、私の中で流行っていたのは、「日本は世界の一部であり、世界は日本の一部である」というフレーズでした。しばらく日本で過ごして、またイギリスに戻ってきたので、日本にいる自分と海外にいる自分がどうつながっているのかという説明が必要だったのかもしれません。ある意味、私なりのカルチャーショックへの対応とも言えます。
さて、日本が世界の一部であるのは当然ですが、世界が日本の一部であるというイメージは私にとって新しいものでした。そう考えるようになったのは、帰国中に読んだ
『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で』や、エドワード・W・サイードの『知識人とは何か』といった本からの影響もあります。
「世界は日本の一部である」の例としては・・、私は以前、外国の事象について書かれた英語の専門書を日本語に翻訳する意義はあまりないんじゃないかなと思っていました。もちろん日本語の方が読みやすいので、訳書があればそれに越したことはないのですが、専門書を訳しても、研究者や大学生など一部の人たちしか読まないだろうし、その人たちは研究に必要なのであれば、勉強して原書でも読めるようになるだろうし。翻訳にかかる手間を考えると、費用対効果が果たしてあるのか・・。それに、そもそも翻訳によって変わってしまうもの、失われてしまうものがあるので、むしろ読者は苦労してでも英語のまま読んだ方がよいのではないかと。
でも、今回イギリスに来てから考えたのは、外国や社会で起こっていることの記録や分析のなかには、日本と直接関係なくても、日本の知識や知見の一部となるべきものもあるのではないかということです。日本の知見は、日本語という言語によって積み重ねられているので、翻訳は「日本の知の蓄積」に貢献すること。原書よりも訳書の方がはっきりとその蓄積の一部となる。だから、日本の知見となるべきと考えられる専門書は、仮に読む人が少なくても、日本語に訳す意義があるのではないかと思ったのです。
世界も日本も同じ時間の流れを共有しているということ。そして、どこかの国の人々が経験したことは、日本人がたまたま経験しなかったけれど、もしかしたら経験していたかもしれない、もうひとつの時間の流れ、あるいはもうひとつの歴史の可能性であるということ。
最近はほとんど思い出さないのですが、今振り返ってみると、「世界は日本の一部である」とイメージすることで、日本人の自分が、外国に身をおく意味を見出そうとしていたのかもしれないですね。外国で経験したことを、最後には日本に持って帰りたい願望・・というか。