著者は、英語でものを書く人たちと、英語以外の言語でものを書く人たちの間には非対称な関係があり、また、西洋と日本には並行しつつも2つの異なる時間が流れていると述べています。私はこれに、理屈ではなく感覚的に、共感を覚えました。
そして、学問とは本来、「読まれるべき言葉」の連鎖であって、世界の普遍語である英語でなされる必然性があると唱えています。このあたりを読んでいると、「なぜあなたは日本語で書くのですか」と問いかけられているような気持ちになります。ただし、著者は日本人もこれからは英語で読み書きすべきと主張しているのではありません。日本語の特殊性や美しさについてもたくさん書かれていますし、著者自身の日本語への強い愛着が感じられます。
因みに私は、自分の中でいくつかの日本語の単語が亡びつつあったことに気づく日々です。些細な話ですが、例えば「次善」という言葉。英語では「セカンド・ベスト」と言いますが、日本語にはぴったりの言葉がないなぁなんて思っていました。とんでもないです。ちゃんと英語と日本語、両方の言葉をセットにして覚えなければと思います。
写真はブライトンの海沿いです。よく散歩していました。