2009年10月31日土曜日

日本語

ブライトンについて書こうと思いつつ、日本について。水村美苗さんの『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で』という本を読みました。

著者は、英語でものを書く人たちと、英語以外の言語でものを書く人たちの間には非対称な関係があり、また、西洋と日本には並行しつつも2つの異なる時間が流れていると述べています。私はこれに、理屈ではなく感覚的に、共感を覚えました。


そして、学問とは本来、「読まれるべき言葉」の連鎖であって、世界の普遍語である英語でなされる必然性があると唱えています。このあたりを読んでいると、「なぜあなたは日本語で書くのですか」と問いかけられているような気持ちになります。ただし、著者は日本人もこれからは英語で読み書きすべきと主張しているのではありません。日本語の特殊性や美しさについてもたくさん書かれていますし、著者自身の日本語への強い愛着が感じられます。

因みに私は、自分の中でいくつかの日本語の単語が亡びつつあったことに気づく日々です。些細な話ですが、例えば「次善」という言葉。英語では「セカンド・ベスト」と言いますが、日本語にはぴったりの言葉がないなぁなんて思っていました。とんでもないです。ちゃんと英語と日本語、両方の言葉をセットにして覚えなければと思います。


写真はブライトンの海沿いです。よく散歩していました。

2009年10月23日金曜日

イエス・ミニスター

クラスメイトの間で流行ったものの1つが、80年代に英国放送協会(BBC)が放送した「イエス・ミニスター(かしこまりました、大臣)」とその続編の「イエス・プライムミニスター(かしこまりました、首相)」という政治コメディドラマでした。みんなでお昼に集まって見たりするうちに私もすっかりはまり、DVDを買いました。

「イエス・ミニスター」シリーズでは、内務省大臣のジム・ハッカー、事務次官のハンフリー・アップルビー、秘書官のバーナード・ウーリーが主な登場人物で、大臣VS次官、別の言い方をすると、政治家VS官僚のバトルが繰り広げられます。ハッカー大臣が新しい政策や省内改革を打ち出そうとすると、ハンフリー次官が関係者への根回しと流暢な言い回しで現状維持にもっていこうとし、秘書官のバーナードは2人の板ばさみになる・・というパターンが多いのですが、ブラックユーモアたっぷりで、リアルに作られています。

このシリーズの最終話で、時の運とハンフリーの手腕によって、誰も予想していなかったハッカー大臣が首相に就任し、続編の「イエス・プライムミニスター」シリーズで、同じ3人のやりとりが続きます。

政治家VS官僚というと、今の日本の政治にも関係するなぁと思っていたら、毎日新聞に関連記事が載っていました。インドにはインド版「イエス・ミニスター」があるそうですが、日本でもこういう番組を作ったら、一般の人々にとって政治家や公務員が身近に感じられるようになって良いのではないかと思います。ただ、日本ではここまでブラックユーモアの強い政治コメディは受け入れられないかな・・という気もしますが。

2009年10月6日火曜日

ケニアとタンザニア

修士論文を書いていた8月頃の写真を見つけました。修士論文ではケニアとタンザニアの比較研究をしたのですが、最初に、論文に使えそうな箇所に付箋を貼りながら、ケニアに関する本とタンザニアに関する本を分けました。写真の手前がケニア、奥がタンザニアに関する本の山です。「タンザニアの勝ち。やっぱり私はタンザニアが好きなんだわ・・」などと思いながら、この写真を撮った記憶があります。