前回書いてから3か月経ってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。私は8月に日本の大学でアフリカ政治の授業を教える機会をいただきました。アフリカについて単発でお話しすることは今までもありましたが、大学で連続した講義を行うのは初めてでした。受講生のみなさんはアフリカに様々な角度から関心をもっていて、アフリカに行ったことのある方、これから行く予定の方もいて、熱心に話を聞いてくださって、とても貴重な経験となりました。
授業の準備をしながら、大学で教えることについて考えました。
私は大学の学部は、知(knowledge)を消費(consume)するトレーニングの場で、大学院(特に博士課程)は、知を生産(produce)するトレーニングの場だと考えています。学部と大学院の違いは、知のconsumerからproducerに変わることです。学部では既存の知識や議論を幅広く理解することが求められますが、博士課程では、そういった既存の知を土台にして、独自の研究を行い、その結果を新しい知として生み出すことが求められます。他の誰かがすでにやったのと同じ研究を行ってもあまり価値がありません。博士号は、専門分野で新しい知を生み出す能力を身につけたことの証明と言ってもよいかもしれません。修士課程はプログラムや人によって異なりますが、この2つの中間というイメージです。
それでは、大学で教えるというのはどういうことだろう?と考えてみて、知識を再生産(reproduce)することかなと思いました。大学で教える内容は、それぞれの分野で構築された知識や議論です。だから、研究しているときのような先へ先へ・・という意識ではなくて、立ち止まってこれまでに蓄積されたものを幅広く見直さなければいけません。そして、知識を解釈したり体系づけたりする際には工夫が必要になりますし、内容についても伝え方についても研究とは違ったオリジナリティを発揮することができます。あたり前のことのようですが、私はすっかり研究マインドになっていたので、意識の切り替えが必要でした。
それから、教える際に何を目標にしたらいいかな?とも考えて、これについてはベトナムの禅僧ティック・ナット・ハン師の教えからヒントを得ました。同師は、良い先生は、生徒に対して、生徒の中に先生がいること、そして先生の中にも生徒がいることを教えてくれる人だとおっしゃっています(こちらに記事があります)。
私はこの考え方をもとに、学生の中にアフリカについて学ぶ上での先生を目覚めさせることを目指しました。もともと学生の中に先生の卵があって、それを孵化させるようなイメージです。授業では基礎的な知識を伝えることが第一ですが、それは良い本を読めば大体習得できます。私としては、学生が授業で取り上げた内容に関心や疑問をもって、もっと理解したいと思うようになり、それを理解するための方法がわかるようになったら理想的です。学生の中の先生が目覚めたら、学生はその先生の声を聴きながら、自主的に学んだり判断したりすることができるようになります。
ということで、受講生に書いていただいた授業の感想の中で、授業で紹介された本を読んでみたい、もっとアフリカについて調べてみたい、というコメントが特に嬉しかったです。もともと意識の高い学生さんが多かったということもありますが。同時に工夫すべき点もいろいろわかりました。こちらが学ばせていただいて有難い限りです。